夏目漱石「吾輩は猫である」103

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 「本当さ。現に僕のおやじが価(ね)を付けた事がある。その時僕は何でも六つ位だったろう。おやじと一所に油町(あぶらまち)から通町(とおりちょう)へ散歩に出ると、向うから大きな声をして女の子はよしかな、女の子はよしかなと怒鳴ってくる。僕らが丁度二丁目の角(かど)へ来ると、伊勢源(いせげん)という呉服屋の前でその男に出っ食わした。伊勢源というのは間口が十間(けん)で蔵が五(い)つ戸前(とまえ)あって静岡第一の呉服屋だ。今度行ったら見て来給え。今でも歴然と残っている。立派なうちだ。その番頭が甚兵衛(じんべえ)といってね。いつでも御袋が三日前に亡くなりましたというような顔をして帳場の所へ控えている。甚兵衛君の隣りには初(はつ)さんという二十四、五の若い衆(しゅ)が坐っているが、この初さんがまた雲照律師(うんしょうりっし)に帰依(きえ)して三七二十一日の間蕎麦湯(そばゆ)だけで通したというような青い顔をしている。初さんの隣りが長(ちょう)どんでこれは昨日(きのう)火事で焚(や)き出されたかの如く愁然と算盤(そろばん)に身を凭(もた)している。長どんと併(なら)んで……」「君は呉服屋の話をするのか、人売りの話をするのか」「そうそう人売りの話しをやっていたんだっけ。実はこの伊勢源についても頗る奇譚(きだん)があるんだが、それは割愛して今日は人売だけにして置こう」「人売もついでにやめるがいい」「どうしてこれが二十世紀の今日(こんにち)と明治初年頃の女子の品性の比較について大なる参考になる材料だから、そんなに容易(たやす)くやめられるものか――それで僕がおやじと伊勢源の前までくると、例の人売りがおやじを見て旦那(だんな)女の子の仕舞物(しまいもの)はどうです、安く負けて置くから買って御くんなさいなといいながら天秤棒を卸(おろ)して汗を拭いているのさ。見ると籠の中には前に一人後ろに一人両方とも二歳ばかりの女の子が入れてある。おやじはこの男に向って安ければ買ってもいいが、もうこれぎりかいと聞くと、へえ生憎(あいにく)今日はみんな売り尽してたった二つになっちまいました。どっちでも好いから取っとくんなさいなと女の子を両手で持って唐茄子か何ぞのようにおやじの鼻の先へ出すと、おやじはぽんぽんと頭を叩(たた)いて見て、ははあかなりな音だといった。それからいよいよ談判が始まって散々価切(ねぎ)った末おやじが、買っても好いが品は慥かだろうなと聞くと、ええ前の奴は始終見ているから間違はありませんがね後ろに担いでる方は、何しろ眼がないんですから、ことによるとひびが入(い)ってるかも知れません。こいつの方なら受け合えない代りに価段(ねだん)を引いて置きますといった。僕はこの問答をいまだに記憶しているんだがその時小供心に女というものはなるほど油断のならないものだと思ったよ。――しかし明治三十八年の今日こんな馬鹿な真似(まね)をして女の子を売ってあるくものもなし、眼を放して後ろへ担いだ方は険呑だなどという事も聞かないようだ。だから、僕の考ではやはり泰西文明の御蔭で女の品行もよほど進歩したものだろうと断定するのだが、どうだろう寒月君」

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 【雲照律師】1827~19…

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