夏目漱石「吾輩は猫である」102

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 「御夏さんを呼んで静岡に水瓜はあるまいかと聞くと、御夏さんが、なんぼ静岡だって水瓜位はありますよと、御盆に水瓜を山盛りにして持ってくる。そこで老梅君食ったそうだ。山盛りの水瓜を悉(ことごと)く平らげて、御夏さんの返事を待っていると、返事の来ないうちに腹が痛み出してね、うーんうーんと唸(うな)ったが少しも利目(ききめ)がないからまた御夏さんを呼んで今度は静岡に医者はあるまいかと聞いたら、御夏さんがまた、なんぼ静岡だって医者位はありますよといって、天地(てんち)玄黄(げんこう)とかいう『千字文(せんじもん)』を盗んだような名前のドクトルを連れて来た。翌朝(あくるあさ)になって、腹の痛みも御蔭(おかげ)でとれてありがたいと、出立(しゅったつ)する十五分前に御夏さんを呼んで、昨日(きのう)申し込んだ結婚事件の諾否を尋ねると、御夏さんは笑いながら静岡には水瓜もあります、御医者もありますが一夜(いちや)作りの御嫁はありませんよと出て行ったきり顔を見せなかったそうだ。それから老梅君も僕同様失恋になって、図書館へは小便をする外(ほか)来なくなったんだって、考えると女は罪な者だよ」というと主人がいつになく引き受けて「本当にそうだ。先達てミュッセの脚本を読んだらそのうちの人物が羅馬(ローマ)の詩人を引用してこんな事をいっていた。――羽より軽い者は塵(ちり)である。塵より軽いものは風である。風より軽い者は女である。女より軽いものは無である。――よく穿(うが)ってるだろう。女なんか仕方がない」と妙な所で力味(りき)んで見せる。これを承った細君は承知しない。「女の軽いのがいけないと仰しゃるけれども、男の重いんだって好(い)い事はないでしょう」「重いた、どんな事だ」「重いというな重い事ですわ、あなたのようなのです」「俺がなんで重い」「重いじゃありませんか」と妙な議論が始まる。迷亭は面白そうに聞いていたが、やがて口を開いて「そう赤くなって互に弁難攻撃をするところが夫婦の真相というものかな。どうも昔の夫婦なんてものはまるで無意味なものだったに違いない」とひやかすのだか賞(ほ)めるのだか曖昧(あいまい)な事を言ったが、それでやめて置いても好い事をまた例の調子で布衍(ふえん)して、下(しも)の如く述べられた。

 「昔は亭主に口返答なんかした女は、一人もなかったんだっていうが、それなら啞(おし)を女房にしていると同じ事で僕などは一向ありがたくない。やっぱり奥さんのようにあなたは重いじゃありませんかとか何とかいわれて見たいね。同じ女房を持つ位なら、たまには喧嘩(けんか)の一つ二つしなくっちゃ退屈で仕様がないからな。僕の母などと来たら、おやじの前へ出てはいとへいで持ち切っていたものだ。そうして二十年も一所になっているうちに寺参りより外(ほか)に外(そと)へ出た事がないというんだから情けないじゃないか。尤も御蔭で先祖代々の戒名は悉く暗記している。男女間の交際だってそうさ、僕の小供の時分などは寒月君のように意中の人と合奏をしたり、霊の交換をやって朦朧体(もうろうたい)で出合って見たりする事は到底出来なかった」「御気の毒様で」と寒月君が頭を下げる。「実に御気の毒さ。しかもその時分の女が必ずしも今の女より品行がいいと限らんからね。奥さん近頃は女学生が堕落したの何だのと八釜(やかま)しくいいますがね。なに昔はこれより烈(はげ)しかったんですよ」「そうでしょうか」と細君は真面目である。「そうですとも、出鱈目(でたらめ)じゃない、ちゃんと証拠があるから仕方がありませんや。苦沙弥君、君も覚えているかも知れんが僕らの五、六歳の時までは女の子を唐茄子(とうなす)のように籠(かご)へ入れて天秤棒(てんびんぼう)で担(かつ)いで売ってあるいたもんだ、ねえ君」「僕はそんな事は覚えておらん」「君の国じゃどうだか知らないが、静岡じゃ慥(たし)かにそうだった」「まさか」と細君が小さい声を出すと、「本当ですか」と寒月君が本当らしからぬ様子で聞く。

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