(ナガサキノート)「黒こげの少年は兄」直感した姉妹

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岡田将平・35歳
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谷﨑昭治さん(1932~45年)

 黒こげになって横たわる少年の写真。長崎原爆爆心地付近で撮影され、原爆の実相を伝え続けてきた写真だ。生々しい姿に、目を背けたくなる人もいるだろう。

 長崎市の西川美代子(にしかわみよこ)さん(79)、山口(やまぐち)ケイさん(76)にとっては、優しく、いつもにこにこしていた兄、谷﨑昭治(たにさきしょうじ)さんの姿だ。旧制中学進学のため、現在の西海市を一人離れていた昭治さんは、原爆で帰らぬ人となった。遺体も見つからなかった。美代子さんとケイさんは昨年、長崎市内であった原爆写真展で写真を目にし、昭治さんだと直感した。70年ぶりの「再会」。2人で写真をなでた。

 その後、姉妹は「兄だ」と名乗り出て、写真展を主催した長崎平和推進協会写真資料調査部会部会長の深堀好敏(ふかほりよしとし)さん(87)が専門家に生前の写真との鑑定を依頼。「同一人物の可能性がある」との結果が出た。

 昭治さんはどんな少年だったのだろうか。70年間、遺族はどんな思いを抱えてきたのか。姉妹の元を訪ねた。

 西川美代子さん、山口ケイさん姉妹の元には、1942年に撮られた家族写真が残る。一番左に写っているのが、原爆で亡くなった兄、谷﨑昭治さんだ。昨年、姉妹が「黒焦げとなった少年」の写真を見たことがきっかけで、この家族写真と比較する鑑定が行われ、「同一人物の可能性がある」と結果が出た。

 写真は一家が暮らしていた瀬戸町(現・西海市)で撮られた。当時、戦地に送るために多くの家庭で家族写真が撮られたという。谷﨑さん一家でも長男、次男が出征していた。昭治さんは三男。美代子さんは三女、ケイさんは四女だ。父己之作(みのさく)さんはもともと精米所の機械を組み立てる技術屋だったが、その頃は自身で精米所を営んでいた。船のエンジンの修理なども無償で買って出た。

 写真には美代子さんも右端に写っているが、ケイさんの姿はない。泣いていたため、己之作さんが抱きかかえていたという。美代子さんは「部落中で次々と撮るから、泣きやむまで待てないわけですよ」と振り返る。

 「昭治(しょうじ)さんはどんなお兄さんでしたか?」。そう聞くと、美代子さんもケイさんも「優しかった」と口をそろえる。「いつもにこにこしていた」。二人は「じっちゃん」と愛称で呼んで、したっていた。

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 母が信心深かったため、姉妹…

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