夏目漱石「吾輩は猫である」73

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 鈴木君は寒月の名を聞いて、話しては行けぬ話しては行けぬと顋(あご)と眼で主人に合図する。主人には一向意味が通じない。先っき鈴木君に逢って説法を受けた時は金田の娘の事ばかりが気の毒になったが、今迷亭から鼻々といわれるとまた先日喧嘩をした事を思い出す。思い出すと滑稽でもあり、また少々は悪(にく)らしくもなる。しかし寒月が博士論文を草しかけたのは何よりの御見(おみ)やげで、こればかりは迷亭先生自賛の如く先ず先ず近来の珍報である。啻(ただ)に珍報のみならず、嬉しい快よい珍報である。金田の娘を貰おうが貰うまいがそんな事は先ずどうでもよい。とにかく寒月の博士になるのは結構である。自分のように出来損(できそこな)いの木像は仏師屋の隅(すみ)で虫が喰うまで白木(しらき)のまま燻(くすぶ)っていても遺憾はないが、これは旨(うま)く仕上がったと思う彫刻には一日も早く箔(はく)を塗ってやりたい。

 「本当に論文を書きかけたのか」と鈴木君の合図はそっち除(の)けにして、熱心に聞く。

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 「よく人のいう事を疑ぐる男…

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