夏目漱石「吾輩は猫である」60

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     四

 例によって金田邸へ忍び込む。

 例によってとは今更解釈する必要もない、しばしばを自乗したほどの度合を示す語(ことば)である。一度遣(や)った事は二度遣りたいもので、二度試みた事は三度試みたいのは人間にのみ限らるる好奇心ではない、猫といえどもこの心理的特権を有してこの世界に生れ出でたものと認定して頂かねばならぬ。三度以上繰返す時始めて習慣なる語を冠せられて、この行為が生活上の必要と進化するのもまた人間と相違はない。何のために、かくまで足繁(しげ)く金田邸へ通うのかと不審を起すならその前にちょっと人間に反問したい事がある。なぜ人間は口から烟(けむり)を吸い込んで鼻から吐き出すのであるか、腹の足しにも血の道の薬にもならないものを、恥かし気もなく吐呑(とどん)して憚(はば)からざる以上は、吾輩が金田に出入(しゅつにゅう)するのを、あまり大きな声で咎(とが)め立(だ)てをしてもらいたくない。金田邸は吾輩の烟草(タバコ)である。

 忍び込むというと語弊がある…

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