沖縄基地、変わらぬ20年 「もの言えぬ」国に憤り拡大

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奥村智司 吉田拓史
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 元米海兵隊員で軍属の男が殺人容疑などで逮捕される事件が起きた沖縄。米兵による少女暴行事件をきっかけに1996年、過重な基地負担の解消が約束されたが、状況はほとんど変わらない。この20年は何だったのか――。事件に抗議するため19日に開かれる県民大会を前に、憤りが沖縄で広がっている。

元記者の県議「政府の不作為問う」

 「国は沖縄に基地を押しつけ、基地に関係する犯罪に解決策を持たずにきた」。10日、仲村未央さん(44)は東京・市谷の防衛省で幹部に詰め寄った。沖縄県議会の抗議の意見書を携え、超党派で上京した県議6人のうちの1人だ。

 沖縄が本土に復帰した1972年生まれ。地元紙の琉球新報の記者になった96年、日米両政府が米軍普天間飛行場宜野湾市)の5~7年以内の返還に合意。「沖縄の訴えが国際政治を動かした」と興奮した。その前年、米兵3人による少女暴行事件を受けて、復帰後初の超党派による県民大会が開かれていた。

 両政府が設けた「沖縄に関する特別行動委員会」(SACO)は96年、普天間飛行場を含む11の米軍施設の返還の道筋を示した。

 仲村さんは、5年の記者経験を経て「沖縄の現状に直接関わって変えたい」と政治家を志望。2002年に社民党から沖縄市議に当選し、県議は08年から3期目。その間「ほとんどの労力を普天間などの基地問題に費やしてきた」。08年以降に米軍の事件事故をめぐって県議会が重ねた約20回の抗議決議に加わった。

 しかし、SACOの返還合意のうち、これまでに実現したのは1割にも満たない約450ヘクタール。大半の返還の条件は普天間と同様、「県内移設」とされた影響が大きい。

 19日、社民や共産のほか、翁長知事を支える企業や団体によるグループが中心になり、那覇市の奥武(おうの)山(やま)陸上競技場で開く県民大会に出る。「政府の20年の不作為を大会で問いたい」

米兵事故で長男犠牲、失望いまも

 宮崎市の海老原大祐さん(63)は、この20年を「同じことの繰り返し。日本は米国にものが言えないままだ」と振り返る。

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