夏目漱石「吾輩は猫である」43

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 「迷亭のは聴いているのか、交ぜ返しているのか判然(はんぜん)しない。寒月君そんな弥次馬(やじうま)に構わず、さっさと遣(や)るが好い」と主人はなるべく早く難関を切り抜けようとする。「むっとして弁じましたる柳かな、かね」と迷亭はあいかわらず飄然(ひょうぜん)たる事をいう。寒月は思わず吹き出す。「真に処刑として絞殺を用いましたのは、私の調べました結果によりますると、『オジセー』の二十二巻目に出ております。即ちかのテレマカスがペネロピーの十二人の侍女を絞殺するという条(くだ)りで御座います。希臘(ギリシャ)語で本文を朗読しても宜(よろ)しゅう御座いますが、ちと衒(てら)うような気味にもなりますからやめに致します。四百六十五行から、四百七十三行を御覧になると分ります」「希臘語うんぬんはよした方がいい、さも希臘語が出来ますといわんばかりだ、ねえ苦沙弥君」「それは僕も賛成だ、そんな物欲しそうな事は言わん方が奥床(おくゆか)しくて好い」と主人はいつになく直ちに迷亭に加担する。両人は毫も希臘語が読めないのである。「それではこの両三句は今晩抜く事に致しまして次を弁じ――ええ申し上げます。

 この絞殺を今から想像して見ますと、これを執行するに二つの方法があります。第一は、かのテレマカスがユーミアス及びフィリーシャスの援(たすけ)を藉(か)りて縄の一端を柱へ括(くく)りつけます。そしてその縄の所々へ結び目を穴に開(あ)けてこの穴へ女の頭を一つずつ入れて置いて、片方の端(はじ)をぐいと引張って釣し上げたものと見るのです」「つまり西洋洗濯屋のシャツのように女がぶら下ったと見れば好いんだろう」「その通りで、それから第二は縄の一端を前の如く柱へ括り付けて他の一端も始めから天井へ高く釣るのです。そしてその高い縄から何本か別の縄を下げて、それに結び目の輪になったのを付けて女の頸(くび)を入れて置いて、いざという時に女の足台を取りはずすという趣向なのです」「たとえていうと縄暖簾(なわのれん)の先へ提灯玉(ちょうちんだま)を釣したような景色と思えば間違はあるまい」「提灯玉という玉は見た事がないから何とも申されませんが、もしあるとすればその辺のところかと思います。――それでこれから力学的に第一の場合は到底成立すべきものでないという事を証拠立てて御覧に入れます」「面白いな」と迷亭がいうと「うん面白い」と主人も一致する。

 「先ず女が同距離に釣られる…

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