夏目漱石「吾輩は猫である」29

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 迷亭君は気にも留めない様子で「どうせ僕などは行徳(ぎょうとく)の俎(まないた)という格だからなあ」と笑う。「まずそんなところだろう」と主人がいう。実は行徳の俎という語を主人は解さないのであるが、さすが永年教師をして胡魔化(ごまか)しつけているものだから、こんな時には教場の経験を社交上にも応用するのである。「行徳の俎というのは何の事ですか」と寒月が真率に聞く。主人は床の方を見て「あの水仙は暮に僕が風呂の帰りがけに買って来て挿(さ)したのだが、よく持つじゃないか」と行徳の俎を無理にねじ伏せる。「暮といえば、去年の暮に僕は実に不思議な経験をしたよ」と迷亭が烟管を大(だい)神楽(かぐら)の如く指の尖(さき)で廻わす。「どんな経験か、聞かし玉え」と主人は行徳の俎を遠く後に見捨てた気で、ほっと息をつく。迷亭先生の不思議な経験というのを聞くと左(さ)の如くである。

 「慥か暮の二十七日と記憶しているがね。例の東風から参堂の上是非文芸上の御高話を伺いたいから御在宿を願うという先き触れがあったので、朝から心待ちに待っていると先生なかなか来ないやね。昼飯を食ってストーブの前でバリー・ペーンの滑稽物(こっけいもの)を読んでいるところへ静岡の母から手紙が来たから見ると、年寄だけにいつまでも僕を小供のように思ってね。寒中は夜間外出をするなとか、冷水浴もいいがストーブを焚(た)いて室を煖(あたた)かにしてやらないと風邪を引くとか色々の注意があるのさ。なるほど親は有難いものだ、他人ではとてもこうはいかないと、呑気(のんき)な僕もその時だけは大に感動した。それにつけても、こんなにのらくらしていては勿体ない。何か大著述でもして家名を揚げなくてはならん。母の生きているうちに天下をして明治の文壇に迷亭先生あるを知らしめたいという気になった。それからなお読んで行くと御前なんぞは実に仕合せ者だ。露西亜(ロシア)と戦争が始まって若い人たちは大変な辛苦をして御国(みくに)のために働らいているのに節季師走でもお正月のように気楽に遊んでいると書いてある――僕はこれでも母の思ってるように遊んじゃいないやね――そのあとへ以て来て、僕の小学校時代の朋友(ほうゆう)で今度の戦争に出て死んだり負傷したものの名前が列挙してあるのさ。その名前を一々読んだ時には何だか世の中が味気(あじき)なくなって人間もつまらないという気が起ったよ。一番しまいにね。私(わた)しも取る年に候えば初春(はつはる)の御雑煮を祝い候も今度限りかと……何だか心細い事が書いてあるんで、なおの事気がくさくさしてしまって早く東風が来れば好いと思ったが、先生どうしても来ない。その中(うち)とうとう晩飯になったから、母へ返事でも書こうと思ってちょいと十二、三行かいた。母の手紙は六尺以上もあるのだが僕にはとてもそんな芸は出来んから、何時(いつ)でも十行内外で御免蒙る事に極(き)めてあるのさ。すると一日動かずにおったものだから、胃の具合が妙で苦しい。東風が来たら待たせて置けという気になって、郵便を入れながら散歩に出掛(でかけ)たと思い給え。いつになく富士見町(ふじみちょう)の方へは足が向かないで土手三番町の方へ我れ知らず出てしまった。丁度その晩は少し曇って、から風が御濠(おほり)の向(むこう)から吹き付ける、非常に寒い。神楽(かぐら)坂(ざか)の方から汽車がヒューと鳴って土手下を通り過ぎる。大変淋(さみ)しい感じがする。暮、戦死、老衰、無常迅速などという奴が頭の中をぐるぐる馳け廻る。よく人が首を縊(くく)るというがこんな時にふと誘われて死ぬ気になるのじゃないかと思い出す。ちょいと首を上げて土手の上を見ると、何時の間にか例の松の真下に来ているのさ」

 「例の松た、何だい」と主人…

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