夏目漱石「吾輩は猫である」18

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 三毛子は「あら先生」と椽を下りる。赤い首輪につけた鈴がちゃらちゃらと鳴る。おや正月になったら鈴までつけたな、どうもいい音(ね)だと感心している間(ま)に、吾輩の傍(そば)に来て「あら先生、御目出度(おめでと)う」と尾を左りへ振る。われら猫属間で御互に挨拶をするときには尾を棒の如く立てて、それを左りへぐるりと廻すのである。町内で吾輩を先生と呼んでくれるのはこの三毛子ばかりである。吾輩は前回断わった通りまだ名はないのであるが、教師の家(うち)にいるものだから三毛子だけは尊敬して先生々々といってくれる。吾輩も先生といわれて満更(まんざら)悪い心持ちもしないから、はいはいと返事をしている。「やあ御目出度う、大層立派に御化粧が出来ましたね」「ええ去年の暮御師匠さんに買って頂いたの、宜(い)いでしょう」とちゃらちゃら鳴らして見せる。「なるほど善(い)い音(ね)ですな、吾輩などは生れてから、そんな立派なものは見た事がないですよ」「あらいやだ、皆んなぶら下げるのよ」とまたちゃらちゃら鳴らす。「いい音でしょう、あたし嬉しいわ」とちゃらちゃらちゃらちゃら続け様に鳴らす。「あなたのうちの御師匠さんは大変あなたを可愛がっていると見えますね」とわが身に引きくらべて暗(あん)に欣羨(きんせん)の意を洩(も)らす。三毛子は無邪気なものである「ほんとよ、まるで自分の小供のようよ」とあどけなく笑う。猫だって笑わないとは限らない。人間は自分より外に笑えるものがないように思っているのは間違いである。吾輩が笑うのは鼻の孔(あな)を三角にして咽喉仏(のどぼとけ)を震動させて笑うのだから人間にはわからぬはずである。「一体あなたの所(とこ)の御主人は何ですか」「あら御主人だって、妙なのね。御師匠さんだわ。二絃琴の御師匠さんよ」「それは吾輩も知っていますがね。その御身分は何なんです。いずれ昔しは立派な方なんでしょうな」「ええ」

   君を待つ間の姫小松……………

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 障子の内で御師匠さんが二絃…

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