夏目漱石「吾輩は猫である」17

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 前足の運動が猛烈なのでややともすると中心を失って倒れかかる。倒れかかる度に後足で調子をとらなくてはならぬから、一つ所にいる訳にも行かんので、台所中あちら、こちらと飛んで廻る。我ながらよくこんなに器用に起(た)っていられたものだと思う。第三の真理が驀地(ばくち)に現前する。「危(あやう)きに臨めば平常なし能(あた)わざる所のものを為(な)し能う。これを天祐(てんゆう)という」幸(さいわい)に天祐を享(う)けたる吾輩が一生懸命餅の魔と戦っていると、何だか足音がして奥より人が来るような気合(けわい)である。ここで人に来られては大変だと思って、いよいよ躍起となって台所をかけ廻る。足音は段々近付いてくる。ああ残念だが天祐が少し足りない。とうとう小供に見付けられた。「あら猫が御雑煮を食べて踊を踊っている」と大きな声をする。この声を第一に聞きつけたのが御三である。羽根も羽子板も打ち遣って勝手から「あらまあ」と飛込んで来る。細君は縮緬(ちりめん)の紋付で「いやな猫ねえ」と仰せられる。主人さえ書斎から出て来て「この馬鹿野郎」といった。面白い面白いというのは小供ばかりである。そうして皆んな申し合せたようにげらげら笑っている。腹は立つ、苦しくはある、踊はやめる訳にゆかぬ、弱った。漸く笑いがやみそうになったら、五つになる女の子が「御かあ様、猫も随分ね」といったので狂瀾(きょうらん)を既倒(きとう)に何とかするという勢(いきおい)でまた大変笑われた。人間の同情に乏しい実行も大分見聞(けんもん)したが、この時ほど恨めしく感じた事はなかった。遂に天祐もどっかへ消え失(う)せて、在来の通り四(よ)つ這(ばい)になって、眼を白黒するの醜態を演ずるまでに閉口した。さすが見殺しにするのも気の毒と見えて「まあ餅をとって遣れ」と主人が御三に命ずる。御三はもっと踊らせようじゃありませんかという眼付で細君を見る。細君は踊は見たいが、殺してまで見る気はないのでだまっている。「取ってやらんと死んでしまう、早くとって遣れ」と主人は再び下女を顧みる。御三は御馳走を半分食べかけて夢から起された時のように、気のない顔をして餅をつかんでぐいと引く。寒月君じゃないが前歯が皆んな折れるかと思った。どうも痛いの痛くないのって、餅の中へ堅く食い込んでいる歯を情け容赦もなく引張るのだから堪(たま)らない。吾輩が「凡ての安楽は困苦を通過せざるべからず」という第四の真理を経験して、けろけろとあたりを見廻した時には、家人は既に奥座敷へ這入ってしまっておった。

 こんな失敗をした時には内に…

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