夏目漱石「吾輩は猫である」15

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 吾輩は猫ではあるが大抵のものは食う。車屋の黒のように横丁の肴屋まで遠征をする気力はないし、新道(しんみち)の二絃琴(にげんきん)の師匠の所(とこ)の三毛のように贅沢(ぜいたく)は無論いえる身分でない。従って存外嫌(きらい)は少ない方だ。小供の食いこぼした麵麭(パン)も食うし、餅菓子の饀(あん)もなめる。香の物は頗るまずいが経験のため沢庵(たくあん)を二切ばかりやった事がある。食って見ると妙なもので、大抵のものは食える。あれは厭だ、これは厭だというのは贅沢な我儘で到底教師の家(うち)にいる猫などの口にすべきところでない。主人の話しによると仏蘭西(フランス)にバルザックという小説家があったそうだ。この男が大の贅沢屋で――尤もこれは口の贅沢屋ではない、小説家だけに文章の贅沢を尽したという事である。バルザックが或日自分の書いている小説中の人間の名をつけようと思って色々つけて見たが、どうしても気に入らない。ところへ友人が遊びに来たので一所に散歩に出掛(でかけ)た。友人は固(もと)より何(なんに)も知らずに連れ出されたのであるが、バルザックは兼ねて自分の苦心している名を目付(めつけ)ようという考えだから往来へ出ると何(なんに)もしないで店先の看板ばかり見て歩行(ある)いている。ところがやはり気に入った名がない。友人を連れてむやみにあるく。友人は訳がわからずにくっ付いて行く。彼らは遂に朝から晩まで巴理(パリ)を探険した。その帰りがけにバルザックはふとある裁縫屋の看板が目についた。見るとその看板にマーカスという名がかいてある。バルザックは手を拍(う)って「これだこれだこれに限る。マーカスは好(い)い名じゃないか。マーカスの上へZという頭文字(かしらもじ)をつける、すると申し分のない名が出来る。Zでなくてはいかん。Z.Marcusは実にうまい。どうも自分で作った名はうまくつけたつもりでも何となく故意(わざ)とらしい所があって面白くない。漸くの事で気に入った名が出来た」と友人の迷惑はまるで忘れて、一人嬉(うれ)しがったというが、小説中の人間の名前をつけるに一日(いちんち)巴理を探険しなくてはならぬようでは随分手数のかかる話だ。贅沢もこの位出来れば結構なものだが吾輩のように牡蠣(かき)的主人を持つ身の上ではとてもそんな気は出ない。何でもいい、食えさえすれば、という気になるのも境遇の然(しか)らしむるところであろう。だから今雑煮が食いたくなったのも決して贅沢の結果ではない、何でも食える時に食って置こうという考から、主人の食い剰(あま)した雑煮がもしや台所に残っていはすまいかと思い出したからである。……台所へ廻って見る。

 今朝見た通りの餅が、今朝見た通りの色で椀の底に膠着(こうちゃく)している。白状するが餅というものは今まで一返も口に入れた事がない。見るとうまそうにもあるし、また少しは気味(きび)がわるくもある。前足で上にかかっている菜っ葉を搔(か)き寄せる。爪(つめ)を見ると餅の上皮(うわかわ)が引き掛ってねばねばする。嗅(か)いで見ると釜(かま)の底の飯を御櫃(おはち)へ移す時のような香(におい)がする。食おうかな、やめようかな、とあたりを見廻す。幸か不幸か誰もいない。御三は暮も春も同じような顔をして羽根をついている。小供は奥座敷で「何と仰(おっ)しゃる兎(うさぎ)さん」を歌っている。

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