夏目漱石「吾輩は猫である」3

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 吾輩は人間と同居して彼らを観察すればするほど、彼らは我儘(わがまま)なものだと断言せざるを得ないようになった。殊に吾輩が時々同衾(どうきん)する小供の如きに至っては言語同断である。自分の勝手な時は人を逆さにしたり、頭へ袋をかぶせたり、抛り出したり、へっついの中へ押し込んだりする。しかも吾輩の方で少しでも手出しをしようものなら家内総がかりで追い廻して迫害を加える。この間もちょっと畳で爪(つめ)を磨(と)いだら細君が非常に怒(おこ)ってそれから容易に座敷へ入れない。台所の板の間(ま)で他(ひと)が顫(ふる)えていても一向平気なものである。吾輩の尊敬する筋向(すじむこう)の白君などは逢う度ごとに人間ほど不人情なものはないと言っておらるる。白君は先日玉のような子猫を四疋産まれたのである。ところがそこの家(うち)の書生が三日目にそいつを裏の池へ持って行って四疋ながら棄てて来たそうだ。白君は涙を流してその一部始終を話した上、どうしても我ら猫族が親子の愛を完(まった)くして美しい家族的生活をするには人間と戦ってこれを剿滅(そうめつ)せねばならぬといわれた。一々尤(もっとも)の議論と思う。また隣りの三毛君などは人間が所有権という事を解していないといって大(おおい)に憤慨している。元来我々同族間では目刺(めざし)の頭でも鰡(ぼら)の臍(へそ)でも一番先に見付(みつけ)たものがこれを食う権利があるものとなっている。もし相手がこの規約を守らなければ腕力に訴えて善(よ)い位のものだ。しかるに彼ら人間は毫(ごう)もこの観念がないと見えて我らが見付た御馳走(ごちそう)は必ず彼らのために掠奪(りゃくだつ)せらるるのである。彼らはその強力を頼んで正当に吾人(ごじん)が食い得べきものを奪って済している。白君は軍人の家におり三毛君は代言(だいげん)の主人を持っている。吾輩は教師の家に住んでいるだけ、こんな事に関すると両君よりもむしろ楽天である。ただその日その日がどうにかこうにか送られればよい。いくら人間だって、そういつまでも栄える事もあるまい。まあ気を永く猫の時節を待つがよかろう。

 我儘で思い出したからちょっ…

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