【アーカイブ】消えた家族、幸せは写真の中に 広島原爆

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【2014年8月6日朝刊、広島県版別刷り】

 原爆投下前、広島のまちには、家族の笑顔や日々の暮らしがあった。本通で散髪屋を営んでいた鈴木六郎さん(当時43)は6人家族。趣味のカメラで、家族の絆を撮りためていた。

 だが、あの日。仲が良かった長男英昭君(同12)と長女公子ちゃん(同9)は、通っていた袋町小学校で被爆。英昭君は公子ちゃんをおんぶして、治療所があった御幸橋まで逃げのびたが、公子ちゃんは衰弱してもう動けなかった。「あとで迎えに来るからね」。そう言って治療所を後にした英昭君は親戚の家で高熱を出し、数日後に死亡。公子ちゃんの行方も分かっていない。

 次男護君(同3)と次女昭子ちゃん(同1)は焼け跡から白骨で見つかり、六郎さんも、救護所の名簿に「重傷後死亡」との記録があった。

 「一家全滅」を憂えた妻フジエさん(同33)は自ら井戸に身を投げた。

 たった1発の原爆が、六郎さん一家を消し去った。

     ◇

「消えた家族」

 相生橋の岸で

 被爆瓦を拾った

 さざなみの声がきこえる

 お兄ちゃん

 エビいるよ

 そっちへいった

 逃げるエビ

 追う少年

 キミちゃん

 捕まえたよ

 やっとだったね

 もって帰って

 金魚鉢で飼おうよ

 水草も少しね

 焼けただれた被爆瓦が

 君のてのひらで

 泣いている

 (2014年夏 御庄博実)

     ◇

平和は一人一人一歩ずつ おいの鈴木恒昭さん

 鈴木六郎さん一家の写真は、六郎さんのおい、鈴木恒昭さん(82)=府中町=が大切に保管してきた。「いとこだった英昭とは、兄弟以上だった」と振り返る。原爆投下前日も、2人で猿猴(えんこう)川に潜ってシジミを探したり、エビを追いかけたりして夢中で遊んだ。夕方に荒神橋近くで「じゃ、また」と別れたのが、最後になった。

 英昭君は、やさしく、明るく、家族思いだった。公子ちゃんは、勝ち気で甘えん坊。無口だが、よく働く六郎さんを中心に「貧しいけれど笑顔がたえない、温かい家庭だった」という。

 恒昭さんも、東蟹屋町(現・東区)の自宅から建物疎開に出かけようとした際に被爆。教師になり、健康には人一倍気をつけてきたつもりだったが今年1月、前立腺がんと診断された。最初は気落ちしたが、腹が据わった。

 「原爆は、まるでろうそくの灯を吹き消すように人の命を奪い、罪のない家族を引き裂く。でも、平和は、一人ひとりが一歩ずつ築き上げるほかない」

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 手元にあった六郎さん家族の…

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