夏目漱石「それから」(第九十一回)十四の十

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 「僕の存在には貴方が必要だ。どうしても必要だ。僕はそれだけの事を貴方に話したいためにわざわざ貴方を呼んだのです」

 代助の言葉には、普通の愛人の用いるような甘い文彩(あや)を含んでいなかった。彼の調子はその言葉と共に簡単で素朴(そぼく)であった。むしろ厳粛の域に逼(せま)っていた。ただ、それだけの事を語るために、急用として、わざわざ三千代を呼んだ所が、玩具(おもちゃ)の詩歌に類していた。けれども、三千代は固より、こういう意味での俗を離れた急用を理解し得る女であった。その上世間の小説に出て来る青春時代の修辞には、多くの興味を持っていなかった。代助の言葉が、三千代の官能に華やかな何物をも与えなかったのは、事実であった。三千代がそれに渇(かわ)いていなかったのも事実であった。代助の言葉は官能を通り越して、すぐ三千代の心に達した。三千代は顫える睫毛の間から、涙を頰(ほお)の上に流した。

 「僕はそれを貴方に承知して…

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