母介護、戸惑う息子… いらだち解消は 認知症社会

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長谷川陽子 森本美紀
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 いらだちを抑えられなくなると、自宅の裏庭に行く。100円ショップで買った皿を数枚、土囊(どのう)用の袋に入れ、一気に地面へとたたきつける。

 大津市の中西義一(よしかず)さん(70)は、8年ほど前から認知症の母善子(よしこ)さん(96)を介護してきた。母が同じことを何度も言い、ひとりで外に出ようとするたび、認知症のせいだとわかっていても腹が立つ。こうして月に何度か皿を割り、気持ちを鎮めている。

 母が発症したころ、妻(66)に脳腫瘍(しゅよう)が見つかった。手術後に高次脳機能障害が残り、その後自宅で寝たきりになった。当時、62歳の中西さんは中小企業支援の仕事をしていた。子どもはおらず、突然1人で2人をみることになった。

 まず困ったのが食事の用意だ。家事は妻に任せてほとんどしてこなかった。

 最初はご飯の水加減がわからず、うまく炊けなかった。なんとかチャーハンやカレーライスは作れるようになったが、毎日では飽きる。結局、スーパーで総菜を買うことが増えた。流し台に残る汚れた食器を見て、「やってられるか」と朝から缶ビールをあけた。

 母のパジャマを買いに行ったときは、ひとりで女性物の売り場にいると変な目で見られないか心配だった。事情を説明すると、男性店員が「男の私がそばにいますから、安心して買い物して下さい」と言ってくれた。涙が出るほどうれしかった。

 何よりも戸惑ったのは、母の着替えやトイレを手伝うことだ。初めは抵抗があった。「男の人がそんなんしたらあかん」と体を硬くしていた母が、「任せるわ」と言うようになるまでに、3年ほどかかった。

 介護保険サービスは初期のころから利用し、徐々に増やしてきた。今はデイサービスで週3日、呂に入れてもらう。ヘルパーが週4日来てトイレ介助もしてくれる。気持ちがずいぶん楽になった。

 子どものころ母は、昼は農業、夜は食堂で働き、明け方に帰ってきて家族の朝食を作っていた。必死だった姿が頭に浮かぶと、「育ててくれたぶんを、こちらが返す番や」と思う。

 症状はゆっくりと進み、中西…

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