夏目漱石「それから」(第九十三回)十五の一

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 三千代(みちよ)に逢(あ)って、いうべき事をいってしまった代助(だいすけ)は、逢わない前に比べると、よほど心の平和に接近しやすくなった。しかしこれは彼の予期する通りに行ったまでで、別に意外の結果というほどのものではなかった。

 会見の翌日彼は永らく手に持っていた賽(さい)を思い切って投げた人の決心を以て起きた。彼は自分と三千代の運命に対して、昨日(きのう)から一種の責任を帯びねば済まぬ身になったと自覚した。しかもそれは自(みずか)ら進んで求めた責任に違いなかった。従って、それを自分の脊(せ)に負うて、苦しいとは思えなかった。その重みに押されるがため、かえって自然と足が前に出るような気がした。彼は自ら切り開いたこの運命の断片を頭に乗せて、父と決戦すべき準備を整えた。父の後(あと)には兄がいた、嫂(あによめ)がいた。これらと戦った後には平岡(ひらおか)がいた。これらを切り抜けても大きな社会があった。個人の自由と情実を毫(ごう)も斟酌(しんしゃく)してくれない器械のような社会があった。代助にはこの社会が今全然暗黒に見えた。代助は凡(すべ)てと戦う覚悟をした。

 彼は自分で自分の勇気と胆力…

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