夏目漱石「それから」(第九十回)十四の九

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 三千代の兄というのはむしろ豁達(かったつ)な気性(きしょう)で、懸隔(かけへだ)てのない交際(つきあい)ぶりから、友達には甚(ひど)く愛されていた。ことに代助はその親友であった。この兄は自分が豁達であるだけに、妹の大人(おとな)しいのを可愛がっていた。国から連れて来て、一所に家(うち)を持ったのも、妹を教育しなければならないという義務の念からではなくて、全く妹の未来に対する情合(じょうあい)と、現在自分の傍(そば)に引き着けて置きたい欲望とからであった。彼は三千代を呼ぶ前、既に代助に向ってその旨(むね)を打ち明けた事があった。その時代助は普通の青年のように、多大の好奇心を以てこの計画を迎えた。

 三千代が来てから後(のち)、兄と代助とは益(ますます)親しくなった。どっちが友情の歩(ほ)を進めたかは、代助自身にも分らなかった。兄が死んだ後(あと)で、当時を振り返って見るごとに、代助はこの親密の裡(うち)に一種の意味を認めない訳に行かなかった。兄は死ぬ時までそれを明言しなかった。代助も敢(あえ)て何事をも語らなかった。かくして、相互の思わくは、相互の間の秘密として葬られてしまった。兄は存生中(ぞんしょうちゅう)にこの意味を私(ひそか)に三千代に洩(も)らした事があるかどうか、其所(そこ)は代助も知らなかった。代助はただ三千代の挙止動作と言語談話からある特別な感じを得ただけであった。

 代助はその頃から趣味の人と…

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