夏目漱石「それから」(第七十回)十二の五
兄のいう所によると、佐川の娘は、今度久しぶりに叔父に連れられて、見物かたがた上京したので、叔父の商用が済み次第また連れられて国へ帰るのだそうである。父がその機会を利用して、相互の関係に、永遠の利害を結び付(つけ)ようと企てたのか、または先達(せんだっ)ての旅行先で、この機会をも自発的に拵(こしら)えて帰って来たのか、どっちにしても代助はあまり研究の余地を認めなかった。自分はただこれらの人と同じ食卓で、旨(うま)そうに午餐(ごさん)を味わって見せれば、社交上の義務は其所(そこ)に終るものと考えた。もしそれより以上に、何らかの発展が必要になった場合には、その時に至って、始めて処置を付けるより外に道はないと思案した。
代助は婆さんを呼んで着物を出さした。面倒だと思ったが、敬意を表するために、紋付(もんつき)の夏羽織(なつばおり)を着た。袴(はかま)は一重(ひとえ)のがなかったから、家(うち)に行って、父か兄かのを穿(は)く事に極(き)めた。代助は神経質な割に、子供の時からの習慣で、人中(ひとなか)へ出るのを余り苦にしなかった。宴会とか、招待(しょうだい)とか、送別とかいう機会があると、大抵は都合して出席した。だから、ある方面に知名な人の顔は大分(だいぶ)覚えていた。その中には伯爵(はくしゃく)とか子爵(ししゃく)とかいう貴公子も交(まじ)っていた。彼はこんな人の仲間入をして、その仲間なりの交際(つきあい)に、損も得も感じなかった。言語動作はどこへ出ても同じであった。外部から見ると、其所が大変能(よ)く兄の誠吾に似ていた。だから、よく知らない人は、この兄弟の性質を、全く同一型に属するものと信じていた。
代助が青山に着いた時は、十…
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