夏目漱石「それから」(第五十八回)十一の二

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 代助が黙然(もくねん)として、自己は何のためにこの世の中に生れて来たかを考えるのはこういう時であった。彼は今まで何遍もこの大問題を捕(とら)えて、彼の眼前に据え付けて見た。その動機は、単に哲学上の好奇心から来た事もあるし、また世間の現象が、余りに複雑な色彩を以て、彼の頭を染め付けようと焦(あせ)るから来る事もあるし、また最後には今日(こんにち)の如くアンニュイの結果として来る事もあるが、その都度彼は同じ結論に到着した。しかしその結論は、この問題の解決ではなくって、むしろその否定と異ならなかった。彼の考(かんがえ)によると、人間はある目的を以て、生れたものではなかった。これと反対に、生れた人間に、始めてある目的が出来て来るのであった。最初から客観的(かっかんてき)にある目的を拵(こし)らえて、それを人間に附着するのは、その人間の自由な活動を、既に生れる時に奪ったと同じ事になる。だから人間の目的は、生れた本人が、本人自身に作ったものでなければならない。けれども、如何(いか)な本人でも、これを随意に作る事は出来ない。自己存在の目的は、自己存在の経過が、既にこれを天下に向って発表したと同様だからである。

 この根本義から出立(しゅったつ)した代助は、自己本来の活動を、自己本来の目的としていた。歩きたいから歩く。すると歩くのが目的になる。考えたいから考える。すると考えるのが目的になる。それ以外の目的を以て、歩いたり、考えたりするのは、歩行と思考の堕落になる如く、自己の活動以外に一種の目的を立てて、活動するのは活動の堕落になる。従って自己全体の活動を挙げて、これを方便の具に使用するものは、自(みずか)ら自己存在の目的を破壊したも同然である。

 だから、代助は今日(きょう…

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