夏目漱石「それから」(第六十五回)十一の九

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 翌日(よくじつ)代助は但馬(たじま)にいる友人から長い手紙を受取った。この友人は学校を卒業すると、すぐ国へ帰ったぎり、今日(こんにち)までついぞ東京へ出た事のない男であった。当人は無論山の中で暮す気はなかったんだが、親の命令でやむをえず、故郷に封じ込められてしまったのである。それでも一年ばかりの間は、もう一返親父(おやじ)を説き付けて、東京へ出る出るといって、うるさいほど手紙を寄こしたが、この頃(ごろ)は漸く断念したと見えて、大した不平がましい訴(うったえ)もしないようになった。家は所の旧家で、先祖から持ち伝えた山林を年々伐(き)り出すのが、重(おも)な用事になっているよしであった。今度の手紙には、彼の日常生活の模様が委(くわ)しく書いてあった。それから、一カ月前町長に挙げられて、年俸を三百円頂戴(ちょうだい)する身分になった事を、面白半分、殊更(ことさら)に真面目な句調で吹聴(ふいちょう)して来た。卒業してすぐ中学の教師になっても、この三倍は貰(もら)えると、自分と他の友人との比較がしてあった。

 この友人は国へ帰ってから、約一年ばかりして、京都在(ざい)のある財産家から嫁を貰った。それは無論親のいい付(つけ)であった。すると、少時(しばらく)して、直(すぐ)子供が生れた。女房の事は貰った時より外に何もいって来ないが、子供の生長(おいたち)には興味があると見えて、時々代助が可笑(おかし)くなるような報知をした。代助はそれを読むたびに、この子供に対して、満足しつつある友人の生活を想像した。そうして、この子供のために、彼の細君に対する感想が、貰った当時に比べて、どの位変化したかを疑った。

 友人は時々鮎(あゆ)の乾(…

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