夏目漱石「それから」(第四十九回)九の三

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竹内誠人
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 廊下伝いに中庭を越して、奥へ来て見ると、父は唐机(とうづくえ)の前へ坐って、唐本(とうほん)を見ていた。父は詩が好(すき)で、閑(ひま)があると折々支那人の詩集を読んでいる。しかし時によると、それが尤(もっと)も機嫌のわるい索引になる事があった。そういうときは、いかに神経のふっくら出来上った兄でも、なるべく近寄らない事にしていた。是非顔を合せなければならない場合には、誠太郎(せいたろう)か、縫子(ぬいこ)か、どっちか引張(ひっぱっ)て父の前へ出る手段を取っていた。代助も縁側まで来て、そこに気が付いたが、それほどの必要もあるまいと思って、座敷を一つ通り越して、父の居間に這入った。

 父はまず眼鏡(めがね)を外した。それを読み掛けた書物の上に置くと、代助の方に向き直った。そうして、ただ一言(ひとこと)、

 「来たか」といった。その語…

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