夏目漱石「それから」(第四十回)七の六

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 梅子は、この機会を利用して、色々の方面から代助を刺激しようと力(つと)めた。ところが代助には梅子の腹がよく解っていた。解れば解るほど激する気にならなかった。そのうち話題は金を離れて、再び結婚に戻って来た。代助は最近の候補者について、この間から親爺(おやじ)に二度ほど悩まされている。親爺の論理は何時(いつ)聞いても昔し風に甚だ義理堅いものであったが、その代り今度はさほど権柄(けんぺい)ずくでもなかった。自分の命の親に当る人の血統を受けたものと縁組をするのは結構な事であるから、貰(もら)ってくれというんである。そうすれば幾分か恩が返せるというんである。要するに代助から見ると、何が結構なのか、何が恩返しに当るのか、まるで筋の立たない主張であった。尤も候補者自身については、代助も格別の苦情は持っていなかった。だから父のいう事の当否は論弁の限(かぎり)にあらずとして、貰えば貰っても構わなかった。代助はこの二、三年来、凡(すべ)ての物に対して重きを置かない習慣になった如く、結婚に対しても、あまり重きを置く必要を認めていなかった。佐川(さがわ)の娘というのはただ写真で知っているばかりであるが、それだけでも沢山なような気がした。――尤も写真は大分(だいぶ)美くしかった。――従って、貰うとなれば、そう面倒な条件を持ち出す考(かんがえ)も何もなかった。ただ、貰いましょうという確答が出なかっただけである。

 その不明晰(ふめいせき)な態度を、父に評させると、まるで要領を得ていない鈍物(どんぶつ)同様の挨拶ぶりになる。結婚を生死の間(あいだ)に横(よこた)わる一大要件と見傚(みな)して、あらゆる他の出来事を、これに従属させる考えの嫂からいわせると、不可思議になる。

 「だって、貴方だって、生涯…

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