夏目漱石「それから」(第三十回)六の四

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 平岡の家は、この十数年来の物価騰貴(とうき)に伴(つ)れて、中流社会が次第々々に切り詰められて行く有様を、住宅の上に善く代表した、尤(もっと)も粗悪な見苦しき構えであった。とくに代助にはそう見えた。

 門と玄関の間(あいだ)が一間(けん)位しかない。勝手口もその通りである。そうして裏にも、横にも同じような窮屈な家が建てられていた。東京市の貧弱なる膨脹(ぼうちょう)に付け込んで、最低度の資本家が、なけなしの元手を二割乃至(ないし)三割の高利に廻(まわ)そうと目論(もくろん)で、あたじけなく拵(こしら)え上げた、生存(せいそん)競争の記念(かたみ)であった。

 今日(こんにち)の東京市…

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