夏目漱石「それから」(第二十八回)六の二

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 紅茶茶碗(こうちゃぢゃわん)を持ったまま、書斎へ引き取って、椅子(いす)へ腰を懸けて、茫然(ぼんやり)庭を眺めていると、瘤(こぶ)だらけの柘榴(ざくろ)の枯枝(かれえだ)と、灰色の幹の根方(ねがた)に、暗緑と暗紅を混ぜ合わしたような若い芽が、一面に吹き出している。代助の眼にはそれがぱっと映じただけで、すぐ刺激を失ってしまった。

 代助の頭には今具体的な何物をも留(とど)めていなかった。あたかも戸外の天気のように、それが静かに凝(じっ)と働らいていた。が、その底には微塵(みじん)の如き本体の分らぬものが無数に押し合っていた。乾酪(チイズ)の中で、いくら虫が動いても、乾酪(チイズ)が元の位置にある間は、気が付かないと同じ事で、代助もこの微震には殆(ほと)んど自覚を有していなかった。ただ、それが生理的に反射して来る度(たび)に、椅子の上で、少しずつ身体(からだ)の位置を変えなければならなかった。

 代助は近頃流行語のように人…

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