夏目漱石「それから」(第七十五回)十三の三

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 翌日(よくじつ)になって、代助はとうとうまた三千代に逢(あ)いに行った。その時彼は腹の中で、先達(せんだっ)て置いて来た金の事を、三千代が平岡(ひらおか)に話したろうか、話さなかったろうか、もし話したとすればどんな結果を夫婦の上に生じたろうか、それが気掛(きがか)りだからという口実を拵(こし)らえた。彼はこの気掛(きがかり)が、自分を駆(か)って、凝(じっ)と落ち付かれないように、東西を引張(ひっぱり)回した揚句(あげく)、遂(つい)に三千代の方に吹き付けるのだと解釈した。

 代助は家を出る前に、昨夕(ゆうべ)着た肌着も単衣(ひとえ)も悉(ことごと)く改めて気を新(あらた)にした。外は寒暖計の度盛(どもり)の日を逐(お)うて騰(あが)る頃であった。歩いていると、湿っぽい梅雨(つゆ)がかえって待ち遠しいほど熾(さか)んに日が照った。代助は昨夕の反動で、この陽気な空気の中に落ちる自分の黒い影が苦になった。広い鍔(つば)の夏帽を被(かぶ)りながら、早く雨季に入(い)れば好(い)いという心持があった。その雨季はもう二、三日の眼前に逼(せま)っていた。彼の頭はそれを予報するかのように、どんよりと重かった。

 平岡の家(うち)の前へ来た…

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