夏目漱石「三四郎」(第八回)一の八

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 浜松で二人とも申し合せたように弁当を食った。食ってしまっても汽車は容易に出ない。窓から見ると、西洋人が四、五人列車の前を往(い)ったり来たりしている。そのうちの一組は夫婦と見えて、暑いのに手を組み合せている。女は上下(うえした)とも真白な着物で、大変美しい。三四郎は生れてから今日(こんにち)に至るまで西洋人というものを五、六人しか見た事がない。そのうちの二人は熊本の高等学校の教師で、その二人のうちの一人は運悪く脊虫(せむし)であった。女では宣教師を一人知っている。随分尖(とん)がった顔で、鱚(きす)または●(●は魚へんに師のつくり、読みはかます)に類していた。だから、こういう派手な奇麗な西洋人は珍らしいばかりではない。頗(すこぶ)る上等に見える。三四郎は一生懸命に見惚(みと)れていた。これでは威張(いば)るのも尤(もっと)もだと思った。自分が西洋へ行って、こんな人の中に這入ったら定めし肩身(かたみ)の狭い事だろうとまで考えた。窓の前を通る時二人の話を熱心に聞いて見たが些(ちっ)とも分らない。熊本の教師とはまるで発音が違うようだ。

 ところへ例の男が首を後(うしろ)から出して、

 「まだ出そうもないのですかね」と言いながら、今行き過ぎた、西洋の夫婦をちょいと見て、

 「ああ美しい」と小声にいって、すぐに生(なま)欠伸(あくび)をした。三四郎は自分が如何(いか)にも田舎ものらしいのに気が着いて、早速(さっそく)首を引き込めて、着座した。男もつづいて席に返った。そうして、

 「どうも西洋人は美くしいですね」といった。

 三四郎は別段の答も出ないの…

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