夏目漱石「三四郎」(第四回)一の四

有料記事

写真・図版
[PR]

 そこへ下女が床(とこ)を延べに来る。広い蒲団を一枚しか持って来ないから、床は二つ敷かなくてはいけないというと、部屋が狭いとか、蚊帳(かや)が狭いとかいって埒(らち)が明かない。面倒がるようにも見える。しまいにはただ今番頭(ばんとう)がちょっと出ましたから、帰ったら聞いて持って参りましょうといって、頑固に一枚の蒲団を蚊帳一杯に敷いて出て行った。

 それから、しばらくすると女が帰って来た。どうも遅くなりましてという。蚊帳の影で何かしているうちに、がらんがらんという音がした。小供に見舞(みやげ)の玩具(おもちゃ)が鳴ったに違ない。女はやがて風呂敷包を元の通りに結んだと見える。蚊帳の向うで「御先へ」という声がした。三四郎はただ「はあ」と答えたままで、敷居(しきい)に尻(しり)を乗せて、団扇を使っていた。いっそこのままで夜(よ)を明かしてしまおうかとも思った。けれども蚊がぶんぶん来る。外ではとても凌(しの)ぎ切れない。三四郎はついと立って、革鞄の中から、キャラコの襯衣(シャツ)と洋袴(ズボン)下(した)を出して、それを素肌へ着けて、その上から紺の兵児帯(へこおび)を締めた。それから西洋手拭(タウエル)を二筋(ふたすじ)持ったまま蚊帳の中へ這入った。女は蒲団の向(むこう)の隅(すみ)でまだ団扇を動かしている。

 「失礼ですが、私(わたし)…

この記事は有料記事です。残り1241文字有料会員になると続きをお読みいただけます。

【お得なキャンペーン中】有料記事読み放題!スタンダードコースが今なら2カ月間月額100円!詳しくはこちら