(ナガサキノート)警報解除、「ケンパタ」で遊んでいた

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岡田将平・32歳
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原口辰代さん(1937年生まれ)

 1945年8月9日、国民学校3年生で8歳だった原口辰代(はらぐちたつよ)さん(77)は被爆の瞬間、「ケンパタ」をして遊んでいた。

 「ケンパタ?」。どんな遊びか分からず、教えてもらった。「ケン」では片足、「パタ」では両足で立つ。子どもの頃遊んだ「ケンケンパ」に似ているが、私の経験したものよりさらに複雑だ。地面に陣地を書き、石を投げて止まった所は自分の陣地として「パタ」ができるが、相手の陣地は飛び越えないといけないというルールだったという。

 原口さんが遊んでいたのは、爆心地の南東約3・4キロ、自宅近くの長崎市伊良林の光源寺。9日午前、空襲警報が鳴り、寺に掘ってあった大きな防空壕(ごう)にいったん入ったが、解除されると、境内に飛び出して遊んだ。「子どもは遊びたい盛り。空襲警報ばかりで、遊びに飢えていたんです」

 午前11時2分、1発の爆弾が、そんな無邪気な子どもたちの人生を変えた。

 原口さんは長崎市伊良林で育った。父は料理屋で働いていたようだ。5学年上の兄や3学年上の姉の話では、幼い頃、今も市中心部にある吉宗(よっそう)や扇一庵(せんいちあん)といった料理店に食べに連れて行ってもらっていたという。

 だが、原口さんの物心がついた時は、戦争まっただ中だった。灯火管制が敷かれると、夜は明かりを覆った。母には「目立つから」と、夏でも白い服は着てはいけないと言われた。空襲警報が体に染みつき、警報が出ると、防空ずきんをかぶって、すぐ近くの光源寺の防空壕(ごう)に一目散に避難した。

 伊良林国民学校(現・市立伊良林小学校)に入るころには、何でも物が配給になった。鮮やかに思い出すのは運動靴の記憶だ。ある日、運動靴が3足、クラスに配給された。くじ引きで誰に渡すかを決めることになり、1足が原口さんに当たった。女の子が履く赤い靴ではなく、黒い靴。サイズは大きかったが、心からうれしかった。先っぽに詰め物をして、ぼろぼろになるまで履いた。

 「どんなものか分からないでしょ」。2回目の取材に訪れた際、原口さんが私のために用意してくれたものがあった。防空ずきんだ。記憶をたどり、作ってくれた。服に縫い付けていた名札も用意してくれた。名札には名前や住所、生年月日、血液型などを書き、大人も子どももつけていたという。

 防空ずきんをかぶり、原口さんが当時の姿を再現してくれた。防空壕(ごう)に避難する時は、ずきんは首の後ろにかけ、水筒とカバンをたすき掛けにする。カバンには乾パンなど緊急時の食料や手ぬぐいが入っていた。夜、寝る時は枕元に、防空ずきん、水筒、カバンの3点を忘れずに置くようにしていたという。

 防空壕の中は退屈だった。原口さんらは、お手玉やおはじきを持ち込んで遊んでいたという。原口さんは「防空壕の中って暑いんですよ。夏なんて特に」とも語る。いつも、警報の解除を今か今かと待ち構えていた。原爆が落とされたのは、空襲警報が解除され、壕から飛び出して遊んでいる最中だった。

 原爆の閃光(せんこう)については、人によって見えた色がオレンジやピンクなどと異なるといわれている。

 長崎市伊良林の光源寺で被爆した原口さんの場合、「濃い水色」だった。稲佐山のある西側を向いていて、その方向から、パーッと強い光を受けた記憶がある。逃げようと思ったが、爆風が追ってやってきた。境内の石塔が倒れて来て、下敷きになった。何とか自力ではい出して逃げた。その時にできたとみられる傷が今も腰に残る。

 原口さんは光源寺の防空壕(ごう)に逃げた。この防空壕は、地域の人が大勢入れる大きな壕で、夕方くらいにはいっぱいになった。原口さんは母らとともに、仕事に出かけていた父の帰りを待った。父は、爆心地に近い浦上方面で働いていたらしい。「浦上あたりがそんなにひどいとは思わないから、わりとのんびりしていた」。やがて、父は歩いて帰ってきた。無傷だった。

 原口さんは、被爆直後に過ごした防空壕(ごう)の臭いが忘れられない。「臭いんですよ」と顔をしかめる。45年8月9日の夜になって壕に来た近所のおばさんのやけどが原因だった。おばさんは、爆心地近くの長崎医科大(現・長崎大医学部)付属病院に入院していた息子の見舞いに行って、被爆したという。全身が焼かれ、皮膚にぴったりとへばりついた服を、防空壕にいた大人がはがしていた。一緒に皮もはげた。

 水ぶくれが破れて、液が出た。そこにハエがたかり、卵を産んだ。卵はすぐにかえり、ウジ虫がわき、動き出した。「おそらく痛くてかゆくてたまらんかったでしょう」。そのおばさんは、終戦を聞かずに亡くなった、と後に知った。

 無傷だった父の容体が急変したのは、9日夜。熱が出て、まったく動けなくなった。今思えば、被爆の急性症状だったと思う。だが、その時は放射線と関係しているとは思うはずもなかった。

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 父が熱にうかされるようにな…

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