後半、天を仰ぐポルトガルのロナルド=上田潤撮影
いかなる強者でも、半世紀以上息づくワールドカップ(W杯)の掟には逆らえない。
いや、むしろ強者が放つ輝きこそが勝利の女神を嫉妬させ、悲劇へといざなう。
サッカーファンの間で広く言い伝えられている「バロンドールの呪い」。
W杯イヤーの前年に世界の年間最優秀選手に与えられる「バロンドール」の栄誉を手にしたフットボーラーは、翌年のW杯で優勝することが出来ない法則だ。 ブラジル大会の犠牲者はポルトガル代表の大黒柱、クリスティアノ・ロナルドだった。
ガーナ戦後半、左足でゴールを決めるロナルド=ロイター
1敗1分けで迎えたガーナとの1次リーグ最終戦。チームメートはロナルドがふだん所属するレアル・マドリード(スペイン)の仲間のように「世界選抜」級の技量はない。
それでも、献身的に背番号7の主将に球を集めた。ロナルドは孤独ではなかった。放ったシュートは9本。後半35分、左足でゴール右に突き刺したのが今大会初ゴールで、決勝点となった。
しかし、大量得点しない限り、決勝トーナメントに進めないことはわかっていた。得失点差で米国を上回れず、1次リーグ敗退。左膝に巻かれたテーピングが示唆するように、フル稼働した今季の疲れで肉体は悲鳴を上げていたに違いない。
「十分なチャンスは作ったが決めきれなかった。顔を上げて、この地を後にしたい」。主将は気丈な言葉を残し、ブラジルを去る。
バロンドールのトロフィーを手にするロナルド=ロイター
ほんの1カ月前、彼は喜びの絶頂にいた。
クラブ世界最高峰の戦いである欧州チャンピオンズリーグでレアル・マドリードを12年ぶりの欧州クラブ王者に導いた。
1月には「バロンドール」の称号を5年ぶりに取り戻した。
「言葉が見つからない。すべてのチームメート、レアル・マドリード、代表チーム、家族に感謝をしたい。本当に誇り高いことだ」
表彰式には息子と一緒に登壇し、喜びの涙をあふれさせた。
しかし、この勲章が呪縛となった。
歴代のバロンドール受賞者と翌年のW杯の成績
写真はロイター
記憶に新しいのは、前回南アフリカ大会のアルゼンチン代表のメッシだ。マラドーナ監督の寵愛を受けながら、1度もゴールネットを揺らすことはなかった。
2006年ドイツ大会の主役はロナウジーニョのはずだった。W杯直前にはバルセロナ(スペイン)を欧州クラブ王者に導くなど我が世の春を謳歌していたが、フランスに屈する。自身もノーゴール。栄光のキャリアに屈辱の夏が刻まれた。
ワールドカップ米国大会決勝でPKを外し、うなだれるイタリアのバッジョ=ロイター
悲劇性が増すのが、決勝までたどりついたケースだ。
1998年フランス大会のブラジルのロナウドは、フランスとの決勝の直前、謎の発作に襲われた。ふらふらになりながら強行出場したものの、本来の出来とはほど遠かった。
94年米国大会はブラジル—イタリアの決勝はPK戦に持ち込まれた。満身創痍でチームを決勝に導いたイタリアのバッジョがバーのはるか上を越し、カリフォルニアの青空にめがけるような弾道のミスキックで非運の主人公になった。
ロナルドの母国の英雄エウゼビオも65年に「バロンドール」に輝いた。66年イングランド大会は9ゴールと大活躍したが、世界一には届かなかった。今年1月、71歳でこの世を去った。天国で後輩のために呪いを解くよう、神に頼んではくれなかったのか……。
ナイジェリア戦でゴールを決めたアルゼンチンのメッシ=ロイター
ただし、呪いは永遠ではない。バロンドールの名誉を手放せば、勝利の神がほほえむケースがある。ブラジルのロナウドは呪縛から逃れた2002年日韓大会で、世界一と得点王というダブルの勲章を手にした。
ブラジル大会の1次リーグで3試合4ゴールと量産態勢に入っているアルゼンチンのエース、メッシの切れ味の鋭さ、躍動感は09年から4年連続で「バロンドール」を手にした絶好調時に戻っている。
今季はけがで数カ月、戦列を離れ、「バロンドール」もロナルドに譲ったが、この充電期間で勤続疲労を癒やし、心身ともリフレッシュできたように映る。ピッチを駆け巡るメッシのまばゆさ。
もう、呪縛の影はない。