コロンビアに敗れて1次リーグ敗退が決まり、肩を落とす日本の選手たち=24日、ブラジル・クイアバ、関田航撮影
ビッグマウスといわれようが、その言霊の力で自らを奮い立たせ、道を切り開いてきた本田圭佑(ACミラン)がテレビカメラの前で言葉を絞り出す。
「無念の一言。優勝する、とまで言って散々な結果ですから。自分たちが未熟すぎた結果。今はすべて受け入れるしかない」
2敗1分け。グループC最下位の現実を直視した。
結果論で言えば、期待先行で「株価」が上滑りし、始まってみたら腰折れするのは8年前のジーコジャパンを想起させる。最終戦のスコア、1―4も2006年ドイツ大会と同じだ。
日経平均株価の推移と日本サッカー界の歴史
12月の終値。日経平均プロフィルから
元日本代表監督の岡田武史さんがよく使うフレーズを思い出す。
「成長というのは右肩上がりじゃない。波打つようにアップダウンを繰り返していくもの」
こんなときだからこそ、あえて視点のスパンを広げてみたい。この20年の日本サッカー界の歩みを考えてみる。バブルに浮かれていた景気が失速、「失われた20年」と世界から揶揄(やゆ)される日本経済とは対照的に、胸を張れる「躍進の20年」だ。
1993年5月15日、満員の国立競技場でJリーグが開幕した
ことし3月、ドイツの名門バイエルン・ミュンヘンのカールハインツ・ルンメニゲ社長にインタビューしたとき、「Jリーグ創設以降の日本サッカー界の進歩はすばらしい」と称賛された。社長の弟ミヒャエルは以前、Jリーグ浦和でプレーした経歴がある。
そう、功労者の筆頭格は国内のプロリーグの誕生だ。初代Jリーグチェアマンの川淵三郎氏にインタビューしたとき、その誕生がバブル崩壊と紙一重だった事実を聞かされた。
「バブル経済がはじけたことを考えると、あと10年遅かったら、プロ化は立ち消えになっていたかも」
Jリーグを法人として立ち上げたのは1991年秋。景気の拡大は止まっていたが、余韻はあった。加盟団体の募集も済み、93年リーグ開幕に向けた離陸の準備は整っていた。
ワールドカップ出場をあと一歩で逃した「ドーハの悲劇」
そして、J1年目で起きたのが「ドーハの悲劇」。悲願のワールドカップ(W杯)出場を目前にしながら、ロスタイムの失点で夢を絶たれた。日本国民がW杯に寄せる恋愛感情は、この失恋劇で火がついた。
片思いが成就したのが4年後。思春期のようなハラハラドキドキの最終予選を経たから、両思いになれた喜びも大きかった。
最近はぜいたくな悩みを抱える。開催国だった02年大会の後は、今回を含めて3大会連続で本大会に世界一番乗り。倦怠(けんたい)期のカップルのように予選でのドキドキ感が、やや薄らいでいる。
コロンビア戦後、テレビに出演していた元日本代表の名波浩さんが言った。「南米予選を4大会ぶりに勝ち上がってきたのがコロンビア。日本は悔しさが足りないってことですよ」
大陸別の出場枠でアジア枠が増えた恩恵を受ける。「ドーハの悲劇」のときは2枠だったのが、今は最大5枠。02年大会で韓国が4位、日本もベスト16と躍進した実績が評価されたのが効く。今大会、アジア勢が総崩れで枠が削られないか心配になるくらいだ。
世界有数のビッグクラブ・ACミランで、エースナンバー10を背負う本田圭佑=ロイター
アジアの恵まれた環境に甘んじず、選手たちは大志を抱き、海を渡った。1998年フランス大会の日本代表は、全員がJリーガーだったのが、2002年日韓大会は4人、06年ドイツが6人、そして、10年南アフリカが4人。今回は過半数の12人を占める。
コロンビア戦の後、ピッチに座り込む長友佑都(インテル・ミラノ)に歩み寄って慰めたのは、同僚のグアリンだった。所属クラブの格付けを見れば、ジーコジャパンのころに比べ、世界水準での経験値は上がっている。
コロンビア戦後、インテル・ミラノの同僚フレディ・グアリン(左)に慰められる長友=ロイター
一方、グローバル化の波に乗ったことで起きた弊害もある。波をかぶるJリーグだ。日本代表=Jリーガーだった時代と違い、サポーターも「日本代表好き」と「Jリーグ好き」の層が背離している。
4年前は、南アフリカで活躍した守護神川島永嗣の「どや顔」を見に、川崎フロンターレの本拠、等々力競技場に駆けつけるファンがいた。今、セレッソ大阪の柿谷曜一朗、山口蛍らが目当ての「セレ女」がブームだが、彼らにも欧州移籍のオファーは舞い込む。
セレッソ大阪時代の香川真司=中里友紀撮影
代表選手の空洞化でJリーグ人気が低下すると、日本サッカー界の基盤が揺らぎかねない。
再び、名波浩さんの言葉を引用したい。
「忘れてならないのは、香川や長友らにしても、メード・イン・Jリーグということ。Jリーグで育ち、世界に羽ばたいていった歴史は踏襲しないといけない」
今の「欧州組」にしても、例外なくJリーグを巣立った卒業生なのだ。
コートジボワール戦終了後、東京・渋谷のスクランブル交差点には多くのサポーターが集まり、声を上げていた=福留庸友撮影
東京・渋谷のスクランブル交差点は、サムライブルーのユニホームを着た若者で埋まる光景が定番化した。各地のパブリックビューイングも盛況だ。あのなかにコアなサッカーファンはどれだけいるのだろう。
サッカー好きは、一過性のお祭りを楽しむライト層を巻き込み、Jリーグの魅力を伝える「布教活動」に励みたい。10年後、20年後の日本サッカーの未来を支える土台作り。
ブラジルで夢に挑んだ余韻が残る、今だからこそ。