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第2章 住民は避難できるか

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スクロール

 東日本大震災発生3日後の2011年3月14日未明、福島第一原発3号機は、13日朝に続き、危機に見舞われていた。原子炉に入れる水の水源が枯れそうになっていることに気付くのが遅れ、1号機ともども、炉の冷却ができない事態となった。

——— このころ、ベントではウエットウェルベントということが一つあると思うんですけれども、ドライウェル側のところからベントするような検討みたいのは。

吉田「それはもちろん、しています」

——— それもされているんですか。実際にはそれは、3号機に関してはされていないんですね。

吉田「ウエットウェルを先行してしまったんですね。それをやっている間に爆発してしまって、何か、圧が下がってしまったんですね。ずっと下がってきたんで、ドライウェルベントをやるタイミングが、逆に言うと、検討はしたんだけれどもという状況だったと思うんですね」

——— 1号機はウエットウェルだけをやっていて、2号機はウエットウェルに加えてドライウェルもということの検討も、検討の俎上には上がっていたと。

吉田「3号機」

——— ああ、3号機ですね。ただ、実際に弁を開けてとかいうそういう操作までには至っていないということですね。

吉田「そういうことです。ここで基本的に、たぶん、本店が検討している放射線評価ですけれども、これはドライウェルベントを想定していると思います」

——— のような感じですね。文脈からすると。

吉田「そうです。ですから、この時点でドライウェルベントをイメージした評価を、本店の菅井君のほうでやっていたという状況だったと思います」

——— なるほど。では、検討にはもう入っていたという最中での3号機の爆発ということになったんですね。

吉田「そうです」

 福島第一原発では、1号機と3号機の原子炉に海水を注入していたが、この時点では目の前に無尽蔵にある太平洋の水を入れているわけではなかった。3号機の海側にある逆洗弁ピットと呼ばれるくぼみが津波をかぶり、たまたま海水がたまったので、消防車のポンプでくみ上げて使っていた。そのピットの海水がほとんどなくなり、原子炉に注ぎ込めなくなってしまったのだ。
 注水が止まった3号機では、原子炉の水位が見る見るうちに低下した。核燃料は完全に水からむき出しの状態になり、自ら発する高熱で、前日に続き、損傷し始めた。出てくるガンマ線の量から、午前4時20分には核燃料の25%がすでに損傷していると評価された。

3号機の危機的状況を伝える吉田所長

 原子炉格納容器の圧力も急激に上昇し始めた。放っておくと壊れた核燃料から発生した水素が格納容器から漏れ出て1号機のように爆発し、原子炉建屋を吹き飛ばしてしまう。格納容器自体が圧力の高まりで壊れる可能性もある。そのため福島第一原発ではまず、格納容器の気体を圧力抑制室経由で抜く、ウエットベントを試みた。
 格納容器の中の気体を抜くベントには2種類のやり方がある。下部の圧力抑制室から抜くウエットベントと、上部のドライウェルから抜くドライベントだ。ウエットベントは、気体を圧力抑制室のプールの水にブクブクとくぐらせたうえで外に放つので、水に溶けやすい放射性ヨウ素は99%取り除くことができるとされている。
 しかし、ウエットベントは効かず、格納容器の圧力は逆に上がってしまった。仕方なく、放射性ヨウ素を大量に出してしまうドライベントの準備を始めた。午前6時23分ごろの話だ。
 東電本店保安班はこれを受け、自社の装置でドライベントをやると放射性ヨウ素がどれくらい拡散するか予測を始めた。文部科学省が結果を公表せず問題になった放射能拡散予測装置スピーディに似た装置だ。
 結果は、原発の北方20kmの地点、福島県相馬郡あたりが、3時間で250ミリシーベルトになるというものだった。
 このように人為的に放射性物質をまき散らすこともあり得る状況になってきたときに、東電本店も耳を疑うことを言ってきた組織がある。原子力安全・保安院だった。

グラフィック|原子力規制庁の資料から作製

——— 確認なんですけれども、3号機が、作業していたら、退避命令をかけて、それだけ危険な状況にあると。それは当然、保安院も官邸も、本店から電話を通じて、オンラインでも通じて、状況は刻々と耳に入っていてという状況の中で、これからご覧いただくところというのは、保安院とか官邸が、要するに、プレス発表の関係ですね。この時点でプレス発表を止めている、止めていないというところですね。

吉田「プレス発表?」

——— ようするに、これをご覧になって、何の場面かというところを思い出していただきたいんですが、3号機の状況に関する情報について、今、プレスを止めているんだというような。

吉田「そんな話は初耳でございまして、33のところですか」

——— はい。9ページ。そこからの流れ、若干まとまったところであるんで、ちょっとご覧いただいて、どういうあれだったのかというのを思い出せば、お聞きしたいんで、お願いします。

写真|福島県川俣町で専門機関と自衛隊による被曝(ひばく)検査を受ける、双葉町からの避難住民=2011年3月13日夜、水野義則撮影

 原子力安全・保安院が言い出したのはプレスを止める、すなわち情報統制を敷くということだった。
 水源の水の枯渇から3号機が冷却不能となり、格納容器の圧力が異常に上昇、福島第一原発では所員が一時退避する事態になっている。こうした3号機の危機をテレビ局や新聞社に一切伝えないで隠そうというのだ。
 東電は、監督官庁による情報統制を、少しとまどいながらも受け入れた。それを、東電本店の官庁連絡班長が午前7時49分、福島第一原発と福島オフサイトセンターに伝えた。
 しかし、経緯を詳しく説明せず「保安院からも官邸に向かって、共同で処理していますが、いまプレスをとめてるそうです。それでいまプレスにはとめてるんです」と言うものだから、吉田は「はい、了解」と言うだけで中身はきちんと聞いてなかった。

——「そんな話は初耳でございまして」

 吉田はそのころ、水源の逆洗弁ピットに水を補給する手立てを四つ同時に走らせていて、それぞれの担当者とのやりとりにてんてこ舞いだった。
 オフサイトセンターにいた東電原子力担当副社長の武藤栄も「ごめん、なんだって?」「何をとめているの?」「3号機の状況を?」と、何を言われているのかわからずじまい。最後は「了解」、と言って会話をやめた。
 一方、福島県は保安院の暴挙に反旗をひるがえした。午前9時に関係部長会議をマスコミに公開する形で開き、その場で3号機の異常を国に代わって公表する、と言い出した。
 しかし、保安院は「絶対にプレス発表はだめだ」と強い態度に出て、県の公表を押しとどめた。3号機の核燃料はすでに30パーセント壊れており、格納容器の気体には大量の放射性物質が含まれる状態になっていると考えられる。このままいくと、人為的に放射性物質をまき散らすドライベントが、住民に何の知らせもないままおこなわれる恐れがある。

「プレスを止めている」と報告する東電

写真|ほとんどの教室に明かりがともった旧埼玉県立騎西高校。2階左側は福島県双葉町役場。1、3、4階は住居になった=2011年3月31日、竹谷俊之撮影

——— 要するに、もう注水できているという状況にして公表しないと、それをしない段階でしてしまえば、そこでまた混乱というか、いたずらに国民の不安をあおってしまうというようなところが入って、それをそのまますぐには知らせなかったのかとも読めるようなところで、ただ、基本的には本店対応ということになるんですかね。ここは。

吉田「なります。ここは私はほとんど記憶ないです。広報がどうしようが、プレスをするか、しないか、勝手にやってくれと。こっちは、現場は手いっぱいなんだからというポジションですから、しゃべっていることも、ほとんど耳に入っていないと思います」

——— それでちょっと何か、あれっという感じだったんですね。

吉田「はい」

——— 基本的には、ここであるところの本店の広報班などが中心となって、その辺りの報道関係の対応は。

吉田「(前略)彼は官庁連絡班長です。そこを止めるという話なのと、広報班のほうは、誰が言っているかわかりませんけれども、広報班長等がプレスをするという話と、官庁との連絡、そこでの話でありますので、どちらでも本店マターの話なので、発電所は知りません。こんなことは勝手にやってくれと、こういうことですね」

——— 要するに、国側の都合で、注水を始めたらすぐに知らせてくれ、その状況については刻々と知らせてもらって、おそらく報道のタイミングを計っているんだと思うんですね。それを本店の広報班なりが、高橋さんかな。連絡する係が向こうに伝えて、タイミングを見計らってと思っていたら、NHKの報道で抜けてしまって、一時退避の事実がですね。それで、これを踏まえた対応をしなければならないという流れになっていっているみたいなんですけれども。この辺はもう、現場としては本店にお任せの。

吉田「そうです。外の話はもうお任せで、うちはだから、圧力が上がるというのと、いつ水を補給しに行くかと。退避させた後ですね。そこだけで頭がいっぱいで、広報などは知りませんと、こういうことです」

写真|記者会見後に大勢の報道陣に囲まれる東京電力の清水正孝社長=2011年3月13日午後10時54分、東京都千代田区内幸町の東電本店、竹谷俊之撮影

 吉田は、3号機の海側にある原子炉に注ぎ込む水の水源、逆洗弁ピットへの水の補給に全力を挙げていた。暴れる3号機をなんとか冷却しなければならなかった。
 ピットに水を補給する四つの手立てのうち、ろ過水タンクの2000トンの水を移す方策はタンクがいつの間にか空っぽになっており失敗した。成功していたら30時間注水できただけに痛かった。
 4号機のタービン建屋の地下にたまった水をくみ上げる方策も、水が引けていたことがわかり失敗に終わった。
 一方、1号機の近くの物揚場という岸壁から、2台の消防車をホースで直列つなぎしてポンプの力を増して海水をくみ上げる方策は、午前9時20分に成功したとの知らせが入った。これで毎時30トンの海水が確保できる。
 自衛隊も給水車を福島第一原発に向かわせ、水を補給してくれることになった。
 しかし、3号機の格納容器の圧力上昇のほうは依然気が抜けなかった。午前10時10分、いったん上がった炉水位がまた下がり、核燃料が再び水面から顔を出した。

——「こっちは、現場は手いっぱいなんだから」

 しかし、情報統制は解かれない。NHKが午前9時半ごろ、3号機の格納容器の異常上昇と作業員の一時退避の話をスクープして伝えても、情報統制はまだ解かれないでいた。
 結局、午前11時1分、3号機が爆発。吉田によるとその際、原子炉の圧力は下がり、ドライベントの必要性はなくなった。
 住民に何も知らせないまま人為的に大量の放射性物質をまき散らす愚は避けられたが、3号機の危機を詳しく聞かされず水の補給に向かった自衛隊員は、ちょうど水を補給し始めたところで爆発に遭った。上空に噴き上げられたコンクリートの塊が真上からたたきつけるように落ちてきて、あやうく命を落とすところだった。

 吉田の言葉から、暴走する原発を止めようとする第一線の者には、住民のことを考える余裕がないことがわかる。だが、原子炉の刻一刻の状況を理解できるのは一線に立つ現場の者をおいてほかにない。
 現場が発信する情報でもって住民避難を呼びかける思想・仕組みをつくらずに、周辺住民を原発災害から適切に逃がすことなど不可能に近い。監督官庁や電力会社が危機情報を隠すことを是とする国においては絶望的だ。(文中敬称略)

「事実だけ言ってください」と話す吉田所長

第3章1節「『決死隊』は行った」に続く