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04月26日朝日新聞デジタル朝刊記事一覧へ(朝5時更新)

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フォトギャラリー 昭和天皇戦後巡幸(1947年)後編会員登録が必要です

 今回の皇室とっておきフォトギャラリーは、昭和天皇の戦後巡幸のうち、1947(昭和22)年11月26日から12月12日までの鳥取県、島根県、山口県、広島県、岡山県の中国地方巡幸の写真を紹介します。

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朝日写真フォトアーカイブ

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(おわけできない写真もあります)

  • 1947年11月27日、鳥取市の久松公園に設けられた奉迎場で、子どもたちに歩み寄り、話をされる昭和天皇。今回の訪問は、前日の26日に特別列車で東京を出発、京都大宮御所で一泊して鳥取県入りし、島根、山口

  • 28日、鳥取県東伯郡倉吉町(現・倉吉市)の町立成徳小学校の工作室で、模型や版画作りをする児童の姿を興味深げにご覧になる昭和天皇

  • 29日、島根県能義郡安来(やすぎ)町(現・安来市)の日立製作安来工場の研究所で、顕微鏡で日本古来の製法で作られた和鋼の出雲砂鉄玉鋼を観察される昭和天皇

  • 12月1日、島根県美濃郡益田町(現・益田市)にあった三井木材工業益田工場で、進駐軍兵舎や復興住宅の建築資材となる合板の生産を視察される昭和天皇

  • 山口県萩市の県農業会(農協の前身)萩加工場では、マーマレードなどの農産加工品作りを視察された

  • 12月2日、山口県下関市では、戦災のため宿泊施設になり得る建物が無いため、かつて関釜連絡船や引揚船として運行された運輸省所有の興安丸が泊所として使用された。近くには昭和天皇をひと目見ようと多くの人たち

  • 3日、多くの引揚者が働く下関漁港で、並べられたヤガラやタチウオなどの鮮魚をご覧になる昭和天皇。この後、風邪をひいていたのにもかかわらず、零下8度の冷凍工場や製氷工場の中も視察された

  • 下関漁港で、冷凍工場を訪れる昭和天皇を歓迎しようと集まった人たち。港に停泊する船上にも立錐の余地も無いほど人が並んでいる

  • 戦災の傷痕が生々しい下関市の長府地区を進む昭和天皇の御料車と沿道で迎える人たち

  • 宇部市の宇部興産沖の山炭鉱鉱業所で、沖合で行われている海底から石炭を採掘するボーリング作業を、望遠鏡で視察される昭和天皇

  • 4日、山口県吉敷郡仁保村(現・山口市)の農業開拓地を視察、山道で迎えた母子に帽子をあげて会釈される昭和天皇。霜解けしたばかりの山道を20分ほどかけて歩いて移動された

  • 5日、広島県佐伯郡大竹町(現・大竹市)の国立大竹病院で、迎えた看護師に言葉をかける昭和天皇。ここでは、原子爆弾で被爆した患者の慰問を行われた

  • 6日、厳島神社がある宮島(現・ 廿日市市)の宿舎となった岩惣旅館で、カメラマンに求められ御座所外の廊下で写真撮影に応じられる昭和天皇。この日は休養日で、島内を散策し植物採集も行った。楠瀬常猪広島県知事

  • 7日、佐伯郡五日市町(現・広島市)で、昭和天皇を迎える広島戦災児育成所の少年たち。この育成所は、1947年の第1回参院議員選挙に当選した山下義信氏が、戦争直後から私財を投じて運営し、原子爆弾で被災し孤

  • 広島市の相生橋付近で、原子爆弾の爆心地を徐行運転で通過する昭和天皇の御料車と、沿道で迎える市民たち。左上は元広島産業奨励館(原爆ドーム) 。「ああ広島平和の鐘も鳴りはじめたちなほる見えてうれしかりけり

  • 広島市民奉迎式場で、式台から市民の歓迎に帽子を振って応えられる昭和天皇。右に広島県商工経済会(商工会議所)と広島産業奨励館(原爆ドーム)が見える 。外周部の黒い陰りは、超広角レンズを使用したため、フィ

  • 沿道にぎっしり詰めかけた市民の列に迎えられて、広島市役所へ向かう昭和天皇の車列。この市役所屋上から被災した市内を展望された

  • 8日、広島県御調郡向島西村(現・尾道市)の津部田港で、昭和天皇を乗せたお召艇あかつき丸(右の白い船)を万歳で歓迎する人たち。ここでは特産のサツマイモや柑橘類の出荷状況やイワシの網引きを視察された。右上

  • 10日、岡山市立の母子寮・仁愛館を訪れ、子どもたちの遊戯を笑顔で見つめられる昭和天皇

  • 11日、今回の巡幸で最後の訪問先となった岡山県久米郡吉岡村と勝田郡南和気村(現・美咲町)にまたがり、硫酸の原料となる硫化鉱を採掘している同和鉱業柵原鉱業所で、坑内電車に乗られた昭和天皇。その後、地下千

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