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04月25日朝日新聞デジタル朝刊記事一覧へ(朝5時更新)

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フォトギャラリー 昭和天皇戦後巡幸(1947年)中編会員登録が必要です

今回の皇室とっておきフォトギャラリーは、昭和天皇の戦後巡幸のうち、1947(昭和22)年10月7日から15日の新潟県、長野県、山梨県の甲信越巡幸と、同月23日から11月2日の福井県、石川県、富山県の北陸巡幸の写真を紹介します。

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朝日写真フォトアーカイブ

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(おわけできない写真もあります)

  • 1947年10月7日、新潟、長野、山梨の甲信越3県行幸(15日まで)で、旧満州(中国東北部)の開拓移民が引き揚げ後に入植した長野県北佐久郡軽井沢町にある大日向開拓地を訪れるため、約1時間かけて浅間山麓

  • 大日向開拓地で建築中の住宅の前に並ぶ奉迎者に、帽子をあげて応えられる昭和天皇。ここを訪れたことに寄せ「浅間おろしつよき麓にかへりきていそしむ田人たふとくもあるか」との御製を詠まれている

  • 8日、新潟県庁の屋上から新潟市内を展望される昭和天皇

  • 9日、ダニの一種のツツガムシによって媒介される感染症ツツガムシ病のワクチン(現在は抗生物質で治療)や脳腫瘍の治療を研究している新潟医科大学(現・新潟大学医学部)を訪問し、真剣な表情で顕微鏡をのぞかれる

  • 信濃川河口にある新潟港を視察する昭和天皇を乗せたお召し艇の鉄拐丸と、歓迎に集まった人たち。新潟港は、ほとんど空襲の被害を受けていなかった

  • 新潟県岩船郡西神納村(現・村上市)で、早場米の倉入れ状況を視察に訪れ、120俵の米俵で作った歓迎門をくぐる昭和天皇の御料車

  • 10日、柏崎市の国立新潟療養所で、入院患者を励まされる昭和天皇

  • 11日、休養日だったが刈羽郡高田村(現・柏崎市)の宿舎近くを散策し、刈り取られた早生稲の切り口から伸びてきた二番芽を、わざわざ畦道にしゃがみ込んで観察される昭和天皇

  • 12日、長野県更級郡篠ノ井町(現・長野市)の酒井苹果(へいか・リンゴ)園を視察し、リンゴをお採りになる昭和天皇

  • 13日、宿舎となっていた長野市にある善光寺大勧進を出発される昭和天皇。右後ろは大金益次郎侍従長。この日、東京では初めての皇室会議が開かれ皇族51人の皇籍離脱が決定した

  • 松本市の市民奉迎場になっている松本城天守閣広場で、式台上から万歳三唱に応えられた

  • 14日、東筑摩郡広丘村(現・塩尻市)で、当時長野県で盛んに飼育されていたヤギと生産者に歩み寄り、ヤギの頭を撫でられる昭和天皇

  • 山梨県中巨摩郡玉幡村(現・甲斐市)で、長い間この地方の住民を苦しめていた日本住血吸虫症を引き起こす吸虫の中間宿主となる宮入貝(ミヤイリガイ)の生息状況について、小川の傍で説明を聞かれる昭和天皇

  • 15日、石和町から河口湖へ向かう御坂峠を登坂する昭和天皇の御料車

  • 24日、福井、石川、富山の北陸3県行幸(11月2日まで)で、福井県の敦賀市役所に入る際、奉迎に集まっていた戦争遺族や引き揚げ者に帽子をとり会釈される昭和天皇。左後ろは松平慶民宮内府長官、右後ろは大金益

  • 26日、空襲で校舎が焼けた福井市の福井県立工業学校(現・福井県立科学技術高等学校)を訪れ、実習室で作業する生徒の手もとを見つめられる

  • 28日、石川県金沢市で、旧陸軍の兵舎を転用した海外引き揚げ者や戦災者が暮らす平和住宅(現・平和町県営住宅)を訪れ、保育園児の歓迎に笑顔で応えられる

  • 30日、第2回国民体育大会秋季大会開会式に臨席するため、金沢市営競技場に到着された昭和天皇。この開会式への出席は非公式なものだったが、大会は大成功に終わった。そして、第3回福岡大会から天皇杯と皇后杯が

  • 11月1日、富山県婦負郡細入村(現・富山市)の山林で、水害による被害が続くため造林を奨励をしようと、スギの苗木をお手植えされる

  • 富山県上新川郡大沢野町(現・富山市)の敷島紡績笹津工場(現・シキボウ富山工場)を視察し、工場内を巡覧される昭和天皇

朝日写真フォトアーカイブ

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