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三笠宮崇仁殿下100年の御生涯会員登録が必要です

昭和天皇の末弟・三笠宮崇仁さまは2016年10月、100歳で逝去されました。今回のフォトギャラリーではご幼少時代、戦時中の皇族軍人としてのご活動、戦後は古代オリエント文明ご研究での活躍やご家族と過ごされた場面を紹介します。[関連記事]

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朝日写真フォトアーカイブ

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  • 1922年5月、学習院初等科のお学友と、千葉県の稲毛海岸で潮干狩りを楽しむ澄宮さま。体操着に紺の足袋をはき、熊手と丸網を手にアサリを掘られている

  • 1926年3月、伊勢神宮に参拝後、景勝地として知られるの二見浦の二見興玉神社を見物される澄宮さま。後ろは神社の鳥居とされる夫婦岩(めおといわ)

  • 1926年5月5日のアサヒグラフ表紙に「雄々しき澄宮殿下」、けふ第十一の菖蒲節句を迎へらる、との写真説明で掲載された弓道の稽古をされる澄宮さま。アサヒグラフのために特に撮影許可を得た写真として紹介され

  • 1934年4月、千葉・習志野練兵場で、急勾配の坂を馬に騎乗しながら上る騎兵第15連隊所属の士官候補生時代の澄宮さま。皇族軍人として終戦まで過ごすことになる

  • 1934年9月、陸軍士官学校本科に入学され、野戦電話で通信の実地訓練をされる澄宮さま

  • 1936年10月、習志野騎兵第15連隊第4中隊の見習士官だった三笠宮さまは10月1日、騎兵少尉に任官された。前年12月に成年され、三笠宮家を創立されていた

  • 1941年8月、三笠宮さまと婚約中の高木百合子さん。家族と共に軽井沢の別荘に滞在しくつろいだ

  • 1941年10月、三笠宮さまとのご結婚で、賢所大前の儀に向かうため東京・高樹町の自宅で支度を調え出発される百合子さま

  • めでたく賢所(かしこどころ)大前の儀を終えられた三笠宮さまと百合子さま

  • 百合子さまの自宅があった東京・高樹町(現・東京都港区南青山付近)で、自動車鹵簿(車列)を見送ろうと沿道に集まった人たち。奉祝の日の丸が掲揚され、和服姿の女性が目立っている

  • 1943年1月、支那派遣軍参謀として中国で勤務されていたとき、北京で現地の女性と話される三笠宮さま。身分を隠すため、お印にちなんだ「若杉参謀」の偽名を使われていた。左端将校の参謀肩章を「トル」と書き込

  • 1946年3月、皇族会の幹事の仕事で横須賀線に乗って通勤するため、神奈川県の逗子駅で財布を出して切符を買われる三笠宮さま。赤坂の青山東御殿は空襲で焼け、神奈川県に仮住まいされていた

  • 1948年5月3日、国会内参院本会議場で行われた日本国憲法施行一周年記念式典で、式辞を述べる松平恒雄参院議長とお席の昭和天皇。ひな壇左側は三笠宮さまと百合子さま。百合子さまの服装は、終戦後に皇族女性が

  • 1954年11月、日本レクリエーション協会総裁として「ハゼ釣り東京一」を競う大会に非公認選手として出場された三笠宮さま

  • 1956年9月、古代オリエント文明の研究で、イランの紀元前6ー4世紀のアケメネス朝ペルシャの首都・ペルセポリス遺跡を見学される三笠宮さま(先頭)。左へモスタファヴィ・テヘラン博物館長、一人おいて山田駐

  • 1957年3月、アンカレッジ経由北極圏回りの東京ーコペンハーゲン間の定期航路一番機で北欧を訪問。スウェーデン、ノルウエー、デンマークをそれぞれの王室から招かれた旅だった。写真は雪のなか百合子さまととも

  • 1965年8月、近衛忠煇さんと長女の甯子(やすこ)さまのご婚約が決まり、東京都千代田区三番町の宮内庁分室の庭園で、結納の日程や外国訪問について記者に語られる三笠宮さま百合子

  • 1966年9月、前年8月から続いている長野県松代町を中心とする群発地震(結局5年半続いた)などをテーマにした「地震展(その予知と防災)」が東京の小田急百貨店で開かれ、そこを訪れた百合子さまと三男の憲仁

  • 1970年3月、大阪万博の開会式に出席された三笠宮さまと百合子さま、昭和天皇と香淳皇后、皇太子さまと美智子さま

  • 1980年11月、ご結婚され、朝見の儀に向かうため皇居・宮殿に入られる長男の寛仁さまと信子さま

  • 1983年5月、ご婚約が正式に決まり記者会見される次女の容子さまと茶道・裏千家の千政之さん

  • 1984年12月、高円宮(憲仁)さまと久子さまがご結婚され、東京都港区の岩崎家別邸跡の開東閣で祝宴が開かれた。昭和天皇と和やかにテーブルを囲まれる三笠宮さまと百合子さまと高円宮ご夫妻

  • 高円宮さま、久子さまの結婚披露宴で出席者と笑顔で話される次男の宜仁さま。1987年に独身皇族として初めて宮家を創設され桂宮さまとなられた

  • 1985年12月、東京芸術大学で客員教授(美術学部)として古代オリエント美術史の講義をされる三笠宮さま

  • 2004年5月、第2次世界大戦中に国外で亡くなり、現在も身元が分からない戦没者を慰霊する千鳥ケ淵戦没者墓苑で開かれる厚生労働省主催の拝礼式で、六角堂(納骨堂)に深く頭を下げられる三笠宮さまと百合子さま

  • 2004年11月、東京都千代田区のホテルで開かれた古代オリエント関係の著作をまとめられた三笠宮殿下米寿記念論集刊行祝賀会で、出席者と記念撮影をされる三笠宮さまと百合子さま

  • 2006年7月、東京都美術館で開かれた「ペルシャ文明展」の内覧会で、アケメネス朝ペルシャの「有翼ライオンの黄金のリュトン」を興味深げに見つめる三笠宮さまと百合子さま、寛仁さまの長女で孫の彬子さま

  • 2008年10月、東京体育館で行われた第28回三笠宮杯全日本ダンススポーツ選手権大会の表彰式で記念撮影された。三笠宮さまは長年にわたってダンスの普及に力を注がれ、皇室きってのダンスの名手を自認されてい

  • 2015年1月、新年の一般参賀で皇居・宮殿のバルコニーに立たれ、秋篠宮家の佳子さま、眞子さまと話される三笠宮さま。右は三笠宮寛仁親王妃信子さまと彬子さま

  • 1951年6月に撮影された東京都文京区にある皇族墓所の豊島岡墓地(上)。大正天皇の皇后だった貞明皇后大喪儀の「斂葬(れんそう)の儀」の際のもので、葬列の鹵簿(馬車列)が不忍通りから正門に入るところ。右

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