【解説】

 昔の新聞点検隊も、4月で連載8年目に突入します。長年のご愛読ありがとうございます。

 毎年、NHK大河ドラマのテーマに関する記事を紹介してきましたが、今年は「おんな城主 直虎」。主人公・井伊直虎(演者は柴咲コウさん)は戦国時代、井伊家の実質的な当主となった女性とされており、近年注目が高まっていますが、やはり昔は知名度がなかったようで……残念ながら関連記事も見つけられませんでした。

 そこで、直虎が守り抜いた井伊家の最大の有名人と言える、井伊直弼(1815~1860)に関する記事を探してみました。直弼は、徳川家康に仕えた井伊直政(三浦春馬さん演じる直親の息子)を初代とすると、13代目の当主です。

 3月に直弼といえば、やはり「桜田門外の変」。幕府の大老が江戸城の門前で水戸浪士らに暗殺されるという幕末でも指折りの大事件。今回取り上げるのは、なんとその襲撃に加わった海後磋磯之介(かいご・さきのすけ、1828~1903)が存命で、当時の様子を振り返っているというものです(直弼ファン、井伊家ファンの方には恐縮ですが、今回は襲撃側中心の話となります)。

 変の実行役18人の中で、明治まで生き残ったのは海後を含め2人だけ。さては大発見か、とも思いましたが、「桜田要撃談」として前後編に分けて書かれたこの体験談、「春雪偉談」との名で史料集などに採録されている海後の回顧録と、ほとんど一致していました。今回の記事が、すでに存在していた「春雪偉談」を新聞で紹介する形だったのか、それとも社外筆者と思われる「蛙堂」が「春雪偉談」の聞き取り手だったか。茨城県立図書館に尋ねたところ、「春雪偉談」の成立年代は不明だそうで、詳細は分かりませんでした。

写真・図版

「桜田要撃談」の前編全文=1898(明治31)年11月14日付東京朝日新聞朝刊3面

 既知の史料とはいえ、読み返してみると、当時の状況がよく分かる興味深いものでした。長い記事ですので、恒例の校閲チェックは導入部分のみにして、あとは内容を追ってみましょう(当時の記事とその現代風の全文はこちら)。

 せっかくの歴史的証言なのに、冒頭から人名の誤りが二つも。「磋磯之介」を「嵯峨之介」と、貴重な情報提供者の名前を間違えるのはいただけません。そして「井伊」が「伊井」に。これもありがちな誤り。いけませんね。

 また、変が起きた1860年3月3日(旧暦)を万延元年としていますが、厳密にはまだ安政7年。万延への改元は3月18日ですので、これも指摘しておきましょう。

原文どおりに表記することを原則としますが、読みやすさの観点から

・漢字の旧字体は新字体に
・句点(。)を補った方がよいと思われる部分には1字分のスペース
・当時大文字の「ゃ」「ゅ」「っ」等の拗音(ようおん)、促音は小文字に

等の手を加えています。ご了承ください

広瀬 集(ひろせ・しゅう)

熊本県出身。就職氷河期世代。非正規の職を転々とした後、2006年にようやく入社。3年半の大阪本社勤務を経て、13年東京本社に復帰。ことばマガジン「昔の新聞点検隊」の言い出しっぺ。関心のある歴史ものやスポーツものを、同コーナーを中心に執筆中。