【解説】

 おすし、カレーライス、丼物。日本人が好きな食べ物に欠かせないのが白いお米です。ダイエットなどによる米離れが問題になる昨今ですが、70年以上前の戦時下、お米が自由に食べられない時代がありました。今回点検するのは、そんな時代、白米そっくりだと話題になった代用食「ジャガイモ米」の記事です。

 さっそく校閲してみましょう。ジャガイモ米「宝米」の試食会を開催した「小林商相」は、最初はフルネームで、肩書も商工相と略さずに書いてもらいましょう。当時は第2次近衛文麿内閣の時代で、商工相(現在の経済産業相にあたります)は小林一三氏でした。阪急グループの創業者としても知られています。記事中1カ所だけ呼称が「小林さん」になっています。初出以外は「小林商相」に統一してもらいましょう。

 「食べる」が数カ所「喰べる」となっています。「食べる」にそろえましょう。「喰う」も出てきますが、現代の感覚では、「くう」はやや乱暴な印象があります。これも「食べる」にしてもらいましょう。

 この記事によると、宝米の作り方は、ジャガイモをゆで、機械で米粒くらいの大きさに搾り出し、でんぷんの粉末をかけるようです。筆者は「頗(すこぶ)る簡単な操作」とまとめていますが、そんなに簡単には思えません。数行後に、宝米を完成させるまでに「発明者」の杉本氏は3年もかかったとあります。専用の機械も必要なようですし、ゆで加減などもコツがあるのでしょう。「比較的簡単」などの方が、適当ではないでしょうか。

 少し気になったのが紙面のあしらいに使われている写真。小林商相の顔写真のみですが、宝米がどんな形か分からないので、写真を見たくなりました。当時は今ほど簡単に写真を撮れなかったのでしょうが、今なら取材時に写真を撮るでしょうし、紙面に写真がほしいところです。

 米の消費量を抑える動きが本格化したのは、この記事が出る2年前の1939(昭和14)年ごろでした。当時は日中戦争のさなか。植民地としていた朝鮮半島が干ばつにおそわれ、日本に入ってくるお米が激減したのがきっかけの一つでした。まず精米業者が白米を販売できなくなります。扱えるのは玄米に近い状態の「分づき米」が原則となりました。白米よりも色が黒く、食感も異なります。すし店などからの「分づきでは握れない」「酢を吸い込まない」などの悲痛な声が紙面で紹介されました。

原文どおりに表記することを原則としますが、読みやすさの観点から

・漢字の旧字体は新字体に
・句点(。)を補った方がよいと思われる部分には1字分のスペース
・当時大文字の「ゃ」「ゅ」「っ」等の拗音(ようおん)、促音は小文字に

等の手を加えています。ご了承ください

有山 佑美子(ありやま・ゆみこ)

横浜市出身。大学では朝鮮文学を専攻していました。他紙に5年ほどいた後、2005年に入社。北海道報道部、千葉総局、文化くらし報道部を経て13年に東京校閲センターへ。趣味はホットヨガで特技はアロマテラピー。