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今回は、西洋美術館のオープンまでを振り返ります。点検するのは、1955(昭和30)年、コルビュジエが設計担当に決まり、来日した時の記事です。さっそくチェックしてみます。
まず、コルビュジエの表記が気になりました。この記事では、見出しも本文も「コルビュジェ」と、小さな「ェ」が使われています。しかし、設計担当がコルビュジエに内定したことを報じる同じ年1月の紙面では大きな「エ」です。契約書への署名が終わったという同年10月の紙面では、小さなェ。翌年5月の設計案を説明する紙面では大きなエ。以前は、使い分けはさほど意識されていなかったようです。今の朝日新聞では、「コルビュジエ」は大きなエで書くことにしています。この記事も「エ」に直してもらいましょう。フランスの最高勲章「レジョン・ドヌール」も、今では、「レジオン・ドヌール」と書いています。
設計を委嘱したことを報じた記事では「ル・コルビュジエ」と大きい「エ」だった=1955(昭和30)年1月29日付東京本社版朝刊7面(記事はレイアウトを加工しています)
空港に着いたコルビュジエについて、「六十八歳とは見えぬ元気さだ」とあります。現代では、68歳は驚くほど高齢というイメージはなく、少し大げさな気がします。ただ、日本人の平均寿命は現在は男女とも80歳を超えていますが、当時は男性が63.60歳、女性は67.75歳。68歳のコルビュジエが飛行機から降り立ったのは驚きだったのかもしれません。
コルビュジエを出迎えた文部省の「内藤社会教育局長」は、フルネームにしてもらいましょう。この年の12月の国会議事録を見ると、文部省社会教育局長として「内藤誉三郎」氏が答弁を行っており、コルビュジエを迎えたのはこの人ではないかと思われます。
原文どおりに表記することを原則としますが、読みやすさの観点から
・漢字の旧字体は新字体に
・句点(。)を補った方がよいと思われる部分には1字分のスペース
・当時大文字の「ゃ」「ゅ」「っ」等の拗音(ようおん)、促音は小文字に
等の手を加えています。ご了承ください
横浜市出身。大学では朝鮮文学を専攻していました。他紙に5年ほどいた後、2005年に入社。北海道報道部、千葉総局、文化くらし報道部を経て13年に東京校閲センターへ。趣味はホットヨガで特技はアロマテラピー。
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