【解説】

 夏休みはごみごみとした都会を離れ、椰子(やし)の木の茂る自分だけの南の島でのんびりとビールを飲んだり本を読んだりして過ごす――。今回はこんな夢をかなえてくれそうな1937(昭和12)年の記事を紹介します。

 さっそく記事を点検してみましょう。

 見出しに「明朗三七年型のお伽噺(とぎばなし)」とあります。「明朗」は明るく朗らかなことですが、同じころの記事の「明朗」の使われ方から推測すると、ここでは「気分を明るくさせる」「愉快な」といったニュアンスが含まれているようです。現代ではこのような使い方はしませんね。少し意味は違いますが、玉手箱にひっかけて「びっくり」とか「仰天」などとしてはと提案してみます。本文中に「明朗な日本=ボルネオ関係」とあるのも今なら「良好な」などとするでしょう。「鰹の巣」というのはカツオの好漁場の意味でしょうか。

 「南洋の女王様」から島を譲り受けることになった幸運の持ち主は宮本三之助さんという男性です。記事には「南洋放浪四十二年北ボルネオへ麻の種をカヌーで持ち込んだ等といふ愉快な武勇伝の持主」としか紹介されていませんが、いったいどんな人物なのでしょうか。

 神戸大学が所蔵している1942(昭和17)年1月5~10日の神戸新聞の記事によると「氏は本年七十歳、和歌山に生れたが少年のころ遠縁にあたる神戸東出町片山氏宅に奇遇し、南進の志を抱いて船員となり次いでボートウィンの船大工を振出しに真珠採取の潜水夫から、船長、真珠採取事業と発展しミンダナオ道路工事に初めて邦人を移住せしめた偉功者、のち遂に見込まれて北ボルネオのスルー王室顧問となり王家の独立運動に尽瘁(じんすい)」したとあります。写真では人の良さそうなお爺(じい)さんですが、立志伝中の人だったようです。

 記事では「南洋」としか紹介されていませんが、どんな場所なのでしょうか。この記事は実は、神戸で取材されたものを電話で聞き取り東京でも紙面にしたようです。記事の冒頭【神戸電話】とあります。同じ日の大阪朝日の紙面には地図もついていて、フィリピン南部スールー諸島とボルネオ北部の海域が舞台であることがわかります。譲り受けた島々の名前は、大阪では「タダカン群島」としていますが、東京は「ババカン群島」。現在の地図を見ても、似たような名前の島はありますが、どの島を指すのか確証が持てませんでした。

原文どおりに表記することを原則としますが、読みやすさの観点から

・漢字の旧字体は新字体に
・句点(。)を補った方がよいと思われる部分には1字分のスペース
・当時大文字の「ゃ」「ゅ」「っ」等の拗音(ようおん)、促音は小文字に

等の手を加えています。ご了承ください

菅野 尚(すがの・なおし)

東京都出身、バブル末期の1991年入社。大阪を中心に西日本を回る。釣りやダイビングに目覚め、魚の生態観察に癒やされる。最近はスポーツジムで泡風呂にひたり、その後はビールの泡におぼれる日々を送る。