【解説】

 わがまちの未来のため、晩酌の楽しみは当面我慢――。大正から昭和のはじめにかけて、財政難にあえぐ自治体によるまちぐるみの断酒「禁酒村」の取り組みが各地で行われました。節約で私たちがまっさきに断つものといえば、今も昔も酒やたばこなどの嗜好(しこう)品ではないでしょうか。200円の缶ビールを毎日我慢したとすると年間7万円以上浮く。その効果は大きいものです。この「禁酒村」の取り組みも当時、絶大な成果を上げました。

 紙面に登場する禁酒村第1号は石川県の河合谷村(現在の同県津幡町)です。村民に飲酒をやめさせ、飲んだつもりで酒代を貯金してもらって老朽化した小学校の校舎建設費に充てようと計画。1926(大正15)年4月から5年間、全村民が酒断ちをしました。300世帯足らずの村でしたが、集まったお金は4万5千円(現在だと3千万円ほどに相当)。その後も10年以上禁酒が続きました。

 こうして改築された小学校は今から8年前に少子化や老朽化により廃校に。80年前に思いを巡らせ、地元の人たちが惜しむ様子が報道されました。

 風紀改善や疾病予防のための禁酒運動の流れともあいまって、取り組みは全国に広がります。1933(昭和8)年の紙面などによると当時、青森県三好村(現在の同県五所川原市)、岐阜県馬瀬村(現在の同県下呂市)など123の自治体が禁酒村の取り組みをしていました。第1号の河合谷村は注目の的で、「病人が5割減った」「ほとんどなかった貯金が、5年間で3万円もできた」「犯罪が絶無になった」などと、酒断ちの成果を村長が全国の禁酒村の村長たちに報告しています。

 こうした中、「禁酒成績優秀」な自治体としてたびたび名前が挙がったのが、冒頭の記事の長野県三穂村(現・同県飯田市)です。400世帯あまりの小さな村。主要な産業は養蚕と製糸で、昭和はじめの経済恐慌で大きな打撃を受けます。各世帯の収入は減り、借金は膨らむ。こうした中、1932(昭和7)年夏から3年間の予定で禁酒が始まりました。

 それでは冒頭の33年7月の記事を見てみましょう。

原文どおりに表記することを原則としますが、読みやすさの観点から

・漢字の旧字体は新字体に
・句点(。)を補った方がよいと思われる部分には1字分のスペース
・当時大文字の「ゃ」「ゅ」「っ」等の拗音(ようおん)、促音は小文字に

等の手を加えています。ご了承ください

有山 佑美子(ありやま・ゆみこ)

横浜市出身。大学では朝鮮文学を専攻していました。他紙に5年ほどいた後、2005年に入社。北海道報道部、千葉総局、文化くらし報道部を経て13年に東京校閲センターへ。趣味はホットヨガで特技はアロマテラピー。