【解説】


 高いところからの写真撮影は絶対禁止! 日中戦争まっただ中の1939年12月、こんな決まりが政府によって設けられ、多くの人を困らせました。

 軍事施設や工場、鉄道など国防上重要な施設についての情報が敵国に漏れるのを防ごうと、「軍機保護法」や「軍用資源秘密保護法」などで、以前から写真撮影に関しては厳しい制限がありました。神奈川県、東京都、千葉県の東京湾沿いの地域などは「要塞(ようさい)地帯」とされ、無許可での撮影は禁止。軍事施設などを風景として写り込ませること、スケッチすることも許されませんでした。ただ、なかなか浸透せず、36年度に神奈川県横須賀憲兵分隊が扱った違反撮影者は、462人に上ったそうです。

 さらに戦時体制が強化されたため、37年に軍機保護法が大きく改正され、39年に施行されました。20メートル以上の高さからの撮影禁止が新たに加わりました。東京では当時の東京市と島嶼(とうしょ)部全域が対象で、俯瞰(ふかん)撮影が禁止されました。違反すると3年以下の懲役または千円以下の罰金、その写真を他人に渡したりすると5年以下の懲役または2千円以下の罰金が科せられました。当時、はがきは2銭と現在の2600分の1の価格。罰金を単純に換算すると驚くほど高額になります。

 ただ、多くの人がカメラを持ち、写真撮影は現代と同じように日常の当たり前の行動だったため、従来の項目だけでなく新しい禁止項目もなかなか徹底されなかったようです。当時の朝日新聞には、「一寸(ちょっと)した不注意が大きな災いの元になりますから撮影には細心の注意が肝要」と警戒を呼びかける記事が頻出します。

原文どおりに表記することを原則としますが、読みやすさの観点から

・漢字の旧字体は新字体に
・句点(。)を補った方がよいと思われる部分には1字分のスペース
・当時大文字の「ゃ」「ゅ」「っ」等の拗音(ようおん)、促音は小文字に

等の手を加えています。ご了承ください

有山 佑美子(ありやま・ゆみこ)

横浜市出身。大学では朝鮮文学を専攻していました。他紙に5年ほどいた後、2005年に入社。北海道報道部、千葉総局、文化くらし報道部を経て13年に東京校閲センターへ。趣味はホットヨガで特技はアロマテラピー。