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1930(昭和5)年10月16日付 東京朝日 夕刊1面。主な直しだけ朱を書き入れています。現在の朝日新聞の表記基準で認めていない漢字の音訓や、当時は入れていなかった句点を入れる等については、原則として記入を省いています。記事を文字起こしした【当時の記事】が【解説】の後ろにあります。レイアウトの都合上、一部加工している画像もあります

【解説】

 ニュージーランドの連覇で幕を閉じたラグビーのワールドカップ・イングランド大会。日本代表の大活躍は記憶に新しいところです。これまで7回出場して通算1勝だった代表が、過去優勝2回の南アフリカを破る大金星を含め、1次リーグ4戦中3勝。惜しくも決勝トーナメントには進めませんでしたが、日本での開催となる4年後が今から楽しみになってきた、という方も少なくないでしょう。

 そのラグビー日本代表、初めて結成されたのはいつでしょうか。気になり調べていたところ、今回の記事を見つけました。85年前の1930(昭和5)年、日本の選手団が太平洋を渡ってはるかカナダまで遠征した際のものです。

 まずは記事を見てみましょう。遠征を終えた一行の船が、横浜に戻ってきたことを報じています。遠征での戦績は、「全勝、一引分」。むむ、全勝なのに1引き分け?? 読み進めていくと、7戦で6勝1引き分けだった、との宮地秀雄主将のコメントでようやく詳細が分かります。「全勝」ならやはり7戦7勝でなくてはいけませんよね。ここは戦績どおり「六勝、一引分」か、負けが無かったことを強調したいなら「無敗」という表現を提案します。

 それにしても、初遠征で無敗とは好成績ですね。写真の選手たちの笑顔に、その充実感が表れているようにも見えます。宮地主将も「もはや日本ラグビーが世界的になったことは疑いの余地がない」「体格も同等になれば、英国にも匹敵するのでは」といった自信たっぷりのコメントです。

 ではその遠征の内容はどのようなものだったのでしょうか。朝日新聞もかなり注目していたようですので、当時の紙面で振り返ってみます。

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別記事1 カナダ遠征の話が持ち上がっていることを報じる記事=1930(昭和5)年2月25日付東京朝日朝刊3面

 30年2月の記事で、初めてカナダ遠征の可能性があることを報じています(別記事1)。当初日本はラグビー発祥の地・英国のチームの招待などをもくろむも、交渉が難航。そこにカナダから遠征の打診があり、条件面で問い合わせ中、といった内容です。

 5月9日にカナダから正式な招待状が届きます。前後して、日本は代表の選抜試合を開催。5月4日に東京で、18日に大阪で行われました(別記事2)。現在と少し異なりますね(日本ラグビーフットボール協会の「協会八十年史」では、大阪での試合を19日としているのですが、19日付の朝刊に載っていました。ここでは当時の紙面どおり18日としておきます)。

原文どおりに表記することを原則としますが、読みやすさの観点から

・漢字の旧字体は新字体に
・句点(。)を補った方がよいと思われる部分には1字分のスペース
・当時大文字の「ゃ」「ゅ」「っ」等の拗音(ようおん)、促音は小文字に

等の手を加えています。ご了承ください

広瀬 集(ひろせ・しゅう)

熊本県出身。就職氷河期世代。非正規の職を転々とした後、2006年にようやく入社。3年半の大阪本社勤務を経て、13年東京本社に復帰。ことばマガジン「昔の新聞点検隊」の言い出しっぺ。関心のある歴史ものやスポーツものを、同コーナーを中心に執筆中。