【解説】


 今回ご紹介するのは、散歩中お堀に落ちてしまった犬を通りすがりの若者が助ける、というちょっといい話です。

 現代の校閲記者の視点で点検しながら読んでいきましょう。

 1934(昭和9)年1月、駐日アメリカ大使のジョセフ・クラーク・グルーさんが娘さんを連れ、愛犬2匹と東京・竹橋付近のお堀端を散歩しています。
 「令嬢リラさん」と名前を紹介した後も、娘さんのことを名前でなく「令嬢」としているのが気になります。今なら2回目以降は「リラさん」と名前で書くでしょう。

 ちなみにグルー大使の日記「滞日十年」(筑摩書房、石川欣一訳)などによると娘さんの名前は「エリザベス」(愛称エルシー)。4人姉妹(うち1人は早世)の末娘で、姉妹のうち1人だけ一緒に来日しました。「リラ」はお姉さんの名前のようです。混同してしまったのでしょうか。
 リラさんはこの半年後に子(グルー大使の孫)2人を連れて来日し、その様子が記事になっています。

写真・図版

サンボがお堀に転落して半年後、リラさん(エルシーさんの姉)とその子2人が来日。グルー大使と面会した=1934年6月17日付東京朝日夕刊2面

 一緒に散歩していた飼い犬の名前もシェパードの「キミ」(スペルはKim)は今なら「キム」、コッカースパニエルの「ザンボウ」(Sambo)は「サンボ」とするでしょう。
 グルーさんたちはキムをアメリカから連れてくるほどの愛犬家でした。エルシーさんは33年10月に東京で結婚式を挙げたばかりでしたが、サンボは結婚前の彼からのプレゼントでした。

 お堀端を歩いていると、サンボの姿が「突然、全くフイに(略)サッと消えて」しまいます。強調のために似たような言葉を四つも重ねています。今なら「突然消えた」などと簡潔に書くでしょう。

 サンボは2丈(約6メートル)余りの崖を落ち、冷たいお堀の水に浮き沈みしていました。そこに「最先に」駆けつけたのが2人の若者。「約30分ほど」で愛犬は父娘の手に戻りました。
 「最先」はあまり聞かなくなった言葉です。今なら「真っ先に」でしょうか。「約30分ほど」は「約」も「ほど」も前後に幅を持たせる働きがあります。どちらか一つで十分です。

原文どおりに表記することを原則としますが、読みやすさの観点から

・漢字の旧字体は新字体に
・句点(。)を補った方がよいと思われる部分には1字分のスペース
・当時大文字の「ゃ」「ゅ」「っ」等の拗音(ようおん)、促音は小文字に

等の手を加えています。ご了承ください

山村 隆雄(やまむら・たかお)

1968年生まれ、千葉県出身。91年入社、名古屋本社校閲部。以来東京、福岡、大阪と異動しつつ校閲の仕事を続ける。2008年から東京本社校閲センター次長。高校、大学で柔道部。プライベートでは犬を猫かわいがりしている。