【解説】


 今期放送のテレビドラマで、TBS系の「天皇の料理番」が好調だそうです。佐藤健さんが熱演する主人公は料理人「秋山篤蔵」。数々の困難を乗り越えながら懸命に料理の修業を続けてきた篤蔵は、先日の放送でついに、宮内省(現在の宮内庁)に入り、「天皇の料理番」となりました。篤蔵には実在のモデルがいます。今回はそのモデル、秋山徳蔵が登場する記事を取り上げてみました。

 (今後のドラマの展開に関わる可能性がある内容も含みます、楽しみにしていらっしゃる方はご注意ください)

 徳蔵は1888(明治21)年、福井の生まれ。ある時、たまたま軍の食堂で目にした西洋料理に心を奪われ、西洋料理人を目指します。1904(明治37)年に上京し、華族会館や築地精養軒などで修業、さらに09(明治42)年、当時ほとんどいなかった料理での西洋留学に挑戦して腕を磨きます。「秋山徳蔵選集」の年譜などによると、13(大正2)年に帰国、皇族の食事や宮中の饗宴(きょうえん)の料理などを担当する宮内省大膳寮(現在の大膳課)に迎え入れられます。このあたりまで、大筋ではドラマと同じですね。

写真・図版

別記事1 大正天皇即位の大饗の、2日目のメニューを伝える記事。「内外の粋を集めた献立」と紹介している。ドラマに登場したザリガニのスープは、徳蔵の自書でも紹介されている話だが、記事では「東京湾付近の小蝦(こえび)」としている。日本人には食材として一般的ではないためこのように説明されたのだろうか=1915(大正4)年11月18日付大阪朝日夕刊2面

 先日の放送にあった、大正天皇の即位を祝う大饗の際の、徳蔵会心の料理が朝日新聞でも紹介されていました(別記事1、2)。

 冒頭の記事はすでに宮内省に入ってしばらく経った頃の話です。それでは恒例の点検から。

 大膳寮から徳蔵ともう一人、「来次主膳」という人物が欧米各国へ留学するという内容。徳蔵には「氏」がついていますのでこちらの人物にも同様に敬称をつけたいところ。ところが続報(別記事3)を見たところ、この人物は「来次六蔵」とされており、「主膳」は職名のようでした。未来の記事になるので当時点検しても気付かなかったかもしれませんが、せっかくですので指摘しておきましょう(宮内庁に残る当時の「進退録」で確認したところ、「来次六雄」という名が見られました。この方のことかもしれません)。

原文どおりに表記することを原則としますが、読みやすさの観点から

・漢字の旧字体は新字体に
・句点(。)を補った方がよいと思われる部分には1字分のスペース
・当時大文字の「ゃ」「ゅ」「っ」等の拗音(ようおん)、促音は小文字に

等の手を加えています。ご了承ください

広瀬 集(ひろせ・しゅう)

熊本県出身。就職氷河期世代。非正規の職を転々とした後、2006年にようやく入社。3年半の大阪本社勤務を経て、13年東京本社に復帰。ことばマガジン「昔の新聞点検隊」の言い出しっぺ。関心のある歴史ものやスポーツものを、同コーナーを中心に執筆中。