【解説】

 道路の左側を通る自動車やオートバイなどに向かい合うように歩行者が進む制度は、実は戦後に始まったものでした。どのようにして始まったのでしょうか。混乱はなかったのでしょうか。今回紹介するのはこんな紙面です。

 明治時代より前は、道路のどちらを通るかという特別なルールはなく、人々は自由に通行していたとされます。警視庁史・昭和中編(上)によると、1900(明治33)年6月、警視庁令をもって「道路取締規則」が制定され、左側通行(車や牛馬は道の左側、その設けがない道は中央を通行すること。歩行者はみだりに車馬道を通行しないようにすること)が採用されたそうです。ただ、これは東京だけの規則で、全国的に統一して全面的に左側通行が定められたのは21(大正10)年1月施行の内務省令・道路取締令の第1条で「道路ヲ通行スル者ハ左側ニ依ルヘシ」と規定されてからだそうです。

原文どおりに表記することを原則としますが、読みやすさの観点から

・漢字の旧字体は新字体に
・句点(。)を補った方がよいと思われる部分には1字分のスペース
・当時大文字の「ゃ」「ゅ」「っ」等の拗音(ようおん)、促音は小文字に

等の手を加えています。ご了承ください

菅野 尚(すがの・なおし)

東京都出身、バブル末期の1991年入社。大阪を中心に西日本を回る。釣りやダイビングに目覚め、魚の生態観察に癒やされる。最近はスポーツジムで泡風呂にひたり、その後はビールの泡におぼれる日々を送る。