辞書は紙に限る。常日頃、周りにはそう主張しています。薄い上質な紙の手触り。そのページをめくりながら、見知らぬことばに出会ったり、知っているつもりのことばの思わぬ一面に驚いたりする楽しみは捨てがたいものです。

 一方で、電子化された辞書は、紙では難しかった様々な検索方法を与えてくれました。見出し語の読みだけでなく表記による検索のほか、語釈や用例に含まれる字句で検索できるものもあります。筆者も、紙の辞書を愛するかたわら、実はパソコン用の辞書ソフトやスマートフォンの辞書アプリを毎日のように使っています。

 最近は特にスマホ用辞書アプリが充実してきていますが、デジタル機器である以上、画面に表示される文字はパソコンと同じように技術的な制約を受けています。今回は、筆者自身が使っているスマホの国語辞典アプリ6種を対象に、紙の辞書と画面表示との間にある、字体の「ずれ」を見てみたいと思います。いずれも紙の国語辞典を基につくられたiOS版の有料アプリですが、数多く存在する辞書アプリの一部であるため、ここでは具体名は示さずA~Fで表すこととします。

 JIS漢字の変遷やUnicodeとの関係などから調べてみたい主な文字を選び、各アプリの表示をまとめたのが下の表です。

  写真・図版

 水色の部分が、それぞれ基になっている紙の辞書との間で字体の違いが見られたものです。製品によってさまざまであることがお分かりいただけるでしょうか。

■2004年改正はOKだけど

 まず「葛」は、2004年のJIS漢字の改正で例示字形が変わったものの代表例です。改正前は「勹」の中が「ヒ」になっている略字体でしたが、2000年の国語審議会答申「表外漢字字体表」を受けて伝統的な康熙字典体に変更されました。2010年の改定常用漢字表にもこの字体で入っています。

 辞書アプリには、OS付属のフォントを使って文字を表示するものと、アプリ側で用意したフォントで表示するものとがありますが、iOSの場合、付属の日本語フォントがもともと2004年改正を反映したものということもあり、上の表のように6種すべてで紙の辞書と同じ康熙字典体の「葛」が表示されました。


 次の「鷗(鴎)」は、JIS漢字の例示字形からいちど消えた康熙字典体が、その後別のコードポイントに「復活」した事例です。

 国内の情報機器で広く使われてきたJIS第1・第2水準に含まれるカモメの字は、1978年の制定時は康熙体の「鷗」でしたが、1983年の改正で略字の「鴎」に置き換えられました。略字の「鴎」のコードポイントで康熙体の「鷗」も表す、つまり包摂するという扱いになりましたが、もともと無理のある字体変更だったため、2000年に制定された第3・第4水準のなかに「鷗」が復活しました。が、第1・第2水準の方がなお汎用性が高いため、今も電子データでは略字の「鴎」で代用することがよくあります。「嚙(噛)」「摑(掴)」「蠟(蝋)」なども同様です。

 手元の辞書アプリ6種では、そのうちの1種(表のE)が略字の「鴎」を表示しました。基になっている紙の辞書は康熙体の「鷗」ですが、アプリではJIS第1・第2水準にある略字を使っているわけです。ほかの5種の辞書アプリは、紙と同じ「鷗」でした。JIS第3・第4水準の文字です。

 ただし、略字の「鴎」を表示するこの辞書アプリが、常にJIS第1・第2水準の字しか使っていないということではありません。思いつくまま検索してみても、「梲(うだつ)」「楤(たら)」「橅(ぶな)」など、いずれも第1・第2水準以外の漢字が表示されます。カモメなどは「略字であっても、第1・第2水準にあればそれを優先する」という姿勢のようです。

  写真・図版


 三つ目の「﨟(臈)」は、上の「鷗(鴎)」などとは異なり、JIS漢字の字体が途中で変更されたことはない字です。「康熙体と略字体」という関係でもないため、JIS漢字の字体問題として意識されることはあまりありません。

 昔の女官などの位を表す「上﨟(じょうろう)」や「中﨟(ちゅうろう)」、洗練されて上品なことを表す「﨟長(ろうた)ける」などの語を紙の辞書で引くと、草かんむりが全体にかかった「﨟」が使われています。しかし一部のアプリでは、にくづきが大きい「臈」で表示されます。調べた6種のアプリのなかでは、カモメを略字で表示した1種(表のE)が、にくづきの大きい「臈」を使っていました。

比留間 直和(ひるま・なおかず)

1969年生まれ。学生時代は中国文学を専攻。1993年に校閲記者として入社し、主に用字用語を担当。自社の表外漢字字体変更(2007年1月)にあたったほか、社外ではJIS漢字の策定・改正にも関わる。現在、朝日新聞メディアプロダクション用語担当デスク。