朝日新聞には東京、大阪、西部、名古屋の四つの「本社」があり、かつて新聞製作を支えていた活版部や連絡部(記事の入力・送稿を担当)といった部署もそれぞれの本社に置かれていました。文字の読み合わせに使う字解きにも、おのずと地域色があらわれていたようです。

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 前々回からご紹介している字解きの社内資料「活版←→編集 文字の呼び方対比一覧」(1979年)は東京本社活版部によってまとめられたものであり、掲載されている字解きには、東京の地域色が出ているものも見受けられます。今回は、国内の地名を使った字解きのなかから、そうした例をいくつか拾ってみましょう。

 一般に、地名で字解きに使いやすいのは、都道府県名や県庁所在地、旧国名など、全国的に広く知られているものです。この資料でも、連絡方式を中心に、「潟=新潟のガタ」「岐=岐阜県のギ」「沢=金沢のサワ」「摂=摂政(摂津の国)のセツ」など、都道府県やそれに準じるクラスの地名がいくつも使われています。さすがにこうしたものは、関東近辺に偏ることなく、広範囲にわたっています。
 他方、比較的小さな範囲を指す地名を使った字解きを資料から探してみると、その多くが東京やその周辺に集中していました。

■テレビ局でおなじみでした

【込】
 活版:こめ・にゅう
 連絡:牛込のコメ、入るにシンニュウ

 「牛込(うしごめ)」とは、現在の東京都新宿区東部の地域名。広辞苑には「江戸時代からの地名で、もと牧牛が多くいたからだという」とあります。もとは「牛込区」が置かれていましたが、1947年に四谷区、淀橋区と合併して新宿区となりました。

  写真・図版

 「牛込」は東京で育った人にとってはなじみのある地名ですが、そうでない人にはあまりピンとこないかもしれません。若いころ東京本社で字解きを仕込まれたベテラン校閲者は「確かに『牛込のコメ』と言っていた」と証言しますが、大阪本社や名古屋本社に在籍した複数の者に聞くと、「込」の説明に使っていたのは「入るにシンニュウ」または「シンニュウに入る」で、「牛込のコメ」は東京以外では無理だろう、と口をそろえます。
 やはり「牛込のコメ」は、東京ローカルの字解きといえそうです。

 行政区としての「牛込区」は戦後すぐになくなりましたが、筆者(埼玉県出身・47歳)は「牛込」という地名を小さいころからよく聞いていました。当時、フジテレビが新宿区河田町にあり、番組内で応募はがきなどの宛先を「東京都牛込局区内 フジテレビ」と放送していたためです。職場にいる地方出身者の多くも「フジテレビの宛先として知っていた」と話しています。しかしフジテレビが1997年にお台場に移転してからは「牛込局区内…」のナレーションに接することもなくなり、東京以外の人がこの地名を知る機会はだいぶ減ったのかもしれません。
 この地名がほかと比べて不利な点として、鉄道の駅名になかったことも挙げられます。1928年までは現在の中央線に「牛込駅」があったのですが、隣の飯田町駅との統合で飯田橋駅となり、牛込駅は姿を消しました。駅名にないと、地元以外の人がその地名を見聞きする機会も限られます。
 しかし、2000年の都営大江戸線全線開通によって「牛込神楽坂駅」「牛込柳町駅」が誕生し、東京の地下鉄路線図に「牛込」の文字が載るようになりました。この地名の知名度も、多少は持ち直してきたのではないでしょうか。

 なお、資料には活版方式として「こめ・にゅう」という字解きが示されていますが、「込」は国字(日本製の漢字)であり、本来「ニュウ」という音読みはありません。「入」がつくことを表すために便宜的にこうしていたのでしょう。

比留間 直和(ひるま・なおかず)

1969年生まれ。学生時代は中国文学を専攻。1993年に校閲記者として入社し、主に用字用語を担当。自社の表外漢字字体変更(2007年1月)にあたったほか、社外ではJIS漢字の策定・改正にも関わる。現在、朝日新聞メディアプロダクション用語担当デスク。