もともとは「売れちゃったら」と入力するはずでした。しかし、「うれちゃったら」と打つ際にタイプミスをして「うれっちゃったら」となったことで、思わぬ変換結果が画面に表示されたのでした。

写真・図版

 憂っちゃったら? 憂っちゃう? そんな言い方あったっけ?――。入力途中の文を脇に置いて漢字変換を試したところ、「憂っちゃったら」だけでなく、「うれっている → 憂っている」「うれった → 憂った」「うれわない → 憂わない」……などが出てきました。
 ワ行五段活用の「憂う」という動詞が変換辞書に用意されている、ということになります。

■口語「憂える」と 文語「憂ふ」

 国の常用漢字表で、「憂」の字に掲げられている音訓は「ユウ」「うれえる」「うれい」「うい」の四つです=下図。三つある訓読みのうち、「うれえる(憂える)」は動詞、「うれい(憂い)」は名詞。そして「うい(憂い)」は形容詞で、ふつう「物憂い」「憂き目」などの複合語で使われます。

写真・図版

 (常用漢字表では「愁」にも「うれえる」「うれい」の訓があり、「憂」と異字同訓の関係にありますが、ここでは便宜上「憂」で代表させることにします)

 口語では、動詞は下一段活用の「うれえる=憂える」がふつうの形であり、「憂えない」「憂えます」「憂えた」「憂えている」「憂えれば」……といった形になります。当然、仮名漢字変換ソフトで入力すれば漢字仮名交じり表記がきちんと出てきます。

 しかし実際には、下一段活用の「憂える」とは異なる形も使われています。特に、「○○を憂う」「憂うべき○○」など「憂う」という形が、新聞紙面にもしばしば登場しています。

写真・図版

 現代日本語で使われる「憂う」について国語辞典を引いてみると、例えば以下のような記述が見られます。

◇三省堂現代新国語辞典(第5版)
  うれう【憂う】〈自他動下二〉うれえる。「国を― ・ ―べき事態」

◇学研現代新国語辞典(改訂第5版)
  うれ・う【憂う・愁う・▽患う】《他上二》〔文〕うれえる。「世を・―」「―・べき事態」 [参考]文語動詞「うれふ」が口語の中に残ったもの。

 つまり、「憂える」の文語の形である「憂ふ(憂う)」が現代語に生き残ったものという位置づけです。上の二つの辞書では活用が「下二段」と「上二段」に割れていますが、文語の「憂ふ」は歴史的に下二段と上二段の両方があったことが知られています。

 ハ行の下二段と上二段は、それぞれ以下のように活用します。

  写真・図版

 文語動詞「憂ふ」の活用について、日本国語大辞典は「下二段活用が古い形で、その『うれへ』が音変化で『うれひ』となり、結果的に上二段活用となったとも見られる」と記しています。
 上に示した新聞紙面の「憂う」の実例は二つとも終止形(助動詞「べし」は終止形に接続)として使われていますが、下二段でも上二段でも終止形はこの形になります。

 このように、現代語における「憂う」は一般に「文語動詞の名残」とされているため、文語とのつながりという点で、新聞紙面で「憂う」を使う際に気をつけていることがあります。連体形をどうするか、です。

比留間 直和(ひるま・なおかず)

1969年生まれ。学生時代は中国文学を専攻。1993年に校閲記者として入社し、主に用字用語を担当。自社の表外漢字字体変更(2007年1月)にあたったほか、社外ではJIS漢字の策定・改正にも関わる。