漢字の字体の話を長らく続けてきましたが、今回は久しぶりに別の話題を。
 昨秋、社内の用字用語のルールブックを改訂し、新聞記事における表記を一部変更しました。朝日新聞出版から発行している「朝日新聞の用語の手引」の新版(2015年3月)には、この新しい社内ルールが盛り込まれています。
 大きな変更点としては、紙面やことばマガジンでもご紹介したように、外来語の「ウイ、ウエ、ウオ」の表記を「ウィ、ウェ、ウォ」と小書きにしたことが挙げられます。そのほかにも細かい点で様々な改善・修正を加えており、中には、長年続けてきた送り仮名の付け方を思い切って変えたものもあります。

 「きたる」という言葉です。

 以前の「朝日新聞の用語の手引」は、下に示すように、何の注記もなく「きたる 来る」と記していました。日本新聞協会加盟各社の用語担当者が話し合う「新聞用語懇談会」がまとめた「新聞用語集」も、これと同じ書き方になっています。

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 これを素直に読めば、「きたる」の送り仮名は「来る選挙」「来るべき未来」「球春来る」「来れ若者」「笑う門には福来る」……のように付ける、という解釈になります。ただ、これに対しては以前から、「『来る』の表記だと、『きたる』なのか『くる』なのか紛らわしい」との声が出ていました。
 実は、国が定めた国語表記の基準を見ても、上に挙げたような事例で常に「来る」と送るべきかどうかは、はっきりとは分かりません。どういうことでしょうか。

■動詞のキタルは適用外

 漢字と送り仮名に関する表記の基準は、内閣告示「常用漢字表」と同「送り仮名の付け方」に示されています。
 現行の常用漢字表(2010年内閣告示)の「来」の字の読みの欄には、「ライ/くる/きたる/きたす」と四つの音訓が掲げられており、「きたる」の横にはその例として「来る○日」と記されています。

 【常用漢字表】
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 これは先代の常用漢字表(1981年)、さらにその前の当用漢字改定音訓表(1973年)から同じでした。もっと前、つまり最初の当用漢字音訓表(1948年)には、「来」の字に「きたる」という読みは掲げられていませんでした。
 一方の「送り仮名の付け方」(1973年内閣告示)は、「常用漢字表(当初は当用漢字改定音訓表)の音訓によって現代の国語を書き表す場合の送り仮名の付け方のよりどころ」をうたい、送り仮名の付け方を「単独の語」と「複合の語」、また単独の語をさらに「活用のある語」「活用のない語」に分け、ぜんぶで七つの「通則」を立てて示しています。
 問題の「きたる」については「来る」という送り方が明記されているのですが、動詞としてではなく、「連体詞」の一つとして掲げられています。連体詞とは「活用のない自立語で、もっぱら体言を修飾するもの」(明鏡国語辞典)で、「いわゆる」「大きな」などがこの品詞に分類されます。

 【送り仮名の付け方】
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 先ほどお見せした常用漢字表の「来る○日」も、確かに連体詞としての用法です。つまり、これらの国語表記の基準では、「来」の訓の一つ「きたる」は、動詞ではなく、あくまで連体詞という位置づけなのです。(ちなみに「去る」については、常用漢字表に「去る,去る○日」と、動詞と連体詞の両方の例が示されています)
 しかし、どうでしょう。「きたる○日」は連体詞と言えますが、「きたるべき未来」「球春きたる」「きたれ若者」「笑う門には福きたる」などは、間違いなく動詞です。いずれも少々古めかしい表現ながら、今なお実際に使われています。そもそも、連体詞の「きたる」は動詞「きたる」の連体形からきたものです。
 では、動詞の「きたる」はどう書くのがよいのでしょうか。

比留間 直和(ひるま・なおかず)

1969年生まれ。学生時代は中国文学を専攻。1993年に校閲記者として入社し、主に用字用語を担当。自社の表外漢字字体変更(2007年1月)にあたったほか、社外ではJIS漢字の策定・改正にも関わる。