前回、国籍や人種の異なる両親の間に生まれた人たちが日本で差別や偏見に悩まされている現状や、「ハーフ」という概念自体が日本特有のものであることなどをご紹介しました。

 今回も引き続きコラムニストのサンドラ・ヘフェリンさんにお話をうかがい、この言葉が生まれた背景や言いかえの動きについて考えます。

■ハーフ=うらやましい?


 「ハーフ」との呼び方が一般に広まったのは1970年代に入ってからとされ、芸能やスポーツの分野で活躍する人が注目を浴び、肯定的なイメージが広がった時期に重なります。それ以前は「混血児」「あいのこ」などと呼ばれて差別された長い歴史があり、特に第2次世界大戦後は大きな社会問題となりました。当時の報道からは、彼らが就学や就職、結婚などでいわれなき差別を受けていた実態がうかがえます。

 そうした経緯を知らない世代が、「ハーフがうらやましい」「自分も国際結婚してハーフの子を産みたい」などと軽い気持ちで言うことがありますが、差別と羨望(せんぼう)の両方の時代を経験した当事者たちは、この両極端な反応に複雑な思いを抱くようです。

 終戦後に生まれたというある女性は、朝日新聞への1989年の投書で、「『あいのこ』はいつしか『ハーフ』と呼ばれ、いじめられていた私が、今度はうらやましがられるようになりました。でも、私はこの変化を決して喜べませんでした。人の心なんてあてにならないと、心に強く刻みました」と胸中を明かしています。

 国際化の進むいま、複数の国にルーツがあることはもはやハンディではなく、将来の選択肢が広がるなどプラス面も多々あります。一方で、ヘフェリンさんのコラムやそこに寄せられた当事者のコメントなどを見ると、子どもが学校で「ガイジン!」「アメリカに帰れ!」などとはやし立てられる、会う人会う人に質問攻めにされる、「ハーフなのに○○じゃないなんてもったいない」と決めつけられる、大人になってからも英語は分からないのにお店で英語のメニューしか出してもらえない、やたらと職務質問される、といった苦労が絶えない現状が見えてきます。

 育った環境はひとりひとり異なるのでひとくくりにはできないのですが、「日本人として受け入れてもらえない」という悩みや疎外感は、いまも昔も変わらないようです。

細川 なるみ(ほそかわ・なるみ)

1982年生まれ、豪州などあちこち育ち。大学では比較刑事法専攻だったが、語学好きが高じて校閲記者の道へ。06年入社、東京校閲センター所属。大阪校閲も2年間経験。オフの楽しみは美術館めぐりとテニス観戦、好きなご当地キャラは「ひこにゃん」と「しまねっこ」。