10年前になる。2006年9月30日、鹿児島空港のエプロン。目の前でYS11がプロペラを止めた。この日をもって、戦後初の国産旅客機の国内民間路線での定期運航が終わった。YS11は国と民間が1959年に設立した日本航空機製造が製作した中型プロペラ機。「日本の空を日本の翼で」をスローガンに開発された。ロールスロイス社製のエンジンを積み、標準で64席を備える。62年に初飛行し、65年に路線就航。試作機を含めると182機が生まれたが、ジェット機全盛時代を迎えて73年で製造中止に。自衛隊や海上保安庁などでも使われた。

 そして昨年11月11日、国産初のジェット旅客機MRJが初飛行を果たした。開発を担う三菱航空機が愛知県営名古屋空港で最初の飛行試験に成功した。国産旅客機の開発は、プロペラ機YS11以来、半世紀ぶりだ。

 喜ばしいことだが、このところ「YS11以来の国産機が飛ぶ」という雰囲気が充満しているので、ひとこと言いたくなった。「国産の旅客機」なら確かにYS11以来だが、旅客機に限らないなら、他にも優れた国産機は存在し、いまでも現役で飛んでいるものもある。

戦闘機も飛行艇も

 日本の防空を30年近く担ったF1という戦闘機があった。くしくも06年は国産機の退役が相次いだ。航空自衛隊が77年から運用してきた戦後初の国産ジェット戦闘機・F1がこの年の3月、築城基地(福岡県築上町)で最後の訓練飛行を終え、退役した。F1は77機が生産された。もともとは超音速の練習機として67年に開発が始まった。防衛産業の育成という狙いもあり、国産化が決まった。戦前の零戦を生んだ三菱重工業を中心にチームが結成された。練習機は71年に初飛行し、改造を加えたF1が76年に完成した。